62.豫園

 最近、暖かいというよりは暑いくらいな日が続くようになり、夏が近づいてきた実感が湧く。それなりに歩くだろうからパンツスタイルで、上は涼しいゆったりとした丈の長めのシャツにした。
 いつも通り駅前で二人と待ち合わせる。今日は私の方が早かった。時刻を少しすぎても、まだ二人は現れない。遅刻なんて珍しい。何かあったんだろうか、連絡しようか、と考え始めたとき、二人が駆け寄ってくるのが見えた。
「すまない、遅れてしまって」
「ごめん小香!」
「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ」
 ホテルを出てから忘れ物に気付いて、取りに戻って遅れてしまったそうだ。何かがあったわけじゃなくてよかった。気を取り直して、電車に乗る。豫園までは、駅を降りて10分くらい歩く。そこまでの道のりも、古い建物が並んでいて、気分が高まる。チケットを買って、庭園に入った。
「小香、手繋ご」
 小黒が手を伸ばしてくるので、握り返す。前に退思園で迷子になってしまったことを思い出したんだろう。ここはあそこによく似ている。こちらの方が、ずっと広い。退思園ではすぐに会えたけれど、ここではぐれたらすぐには会えなそうだ。
 建物の横を通り過ぎて、橋を渡る。
「なんだかタイムスリップした気分になるね」
 静かな庭園を歩いていると、そんな気持ちに浸れるのがいい。
「そういえば、もう漢服は着ないのか」
 後ろからゆっくりついてきていた无限大人に言われて、首を傾げた。
「もう?」
「着てただろう。春節が過ぎたころ」
「あ、そういえば」
 雨桐に誘われて着たことがあった。確かに、こんな雰囲気の場所で着たらよりタイムスリップ気分が味わえそう。无限大人はじっと私を見てから微笑んだ。
「また見たい」
「えっ……」
 突然の発言にどきんとする。それは……どういう意味なんだろう!?
「小香漢服着てたの!? ぼくも見たい!」
「ええっ……そんな、見せるものじゃないよ……」
 小黒にまで言われて、困ってしまう。服として可愛かったから、また着る機会があればとは思うけれど、わざわざ人に見せるようなものでもない。
「私は、无限大人の漢服が見たいですけど……」
 こういう場で着てくれたらすごく映えそう。そんな欲望をちらっと口に出してみる。
「じゃあみんなで着ればいいね!」
「そうだな」
「ええっ」
 小黒の提案に无限大人が頷く。確かに、そうすればこういうところで无限大人の漢服姿が見れるけど……。考えてみると、館で会うときは漢服だけど、出かけるときは現代服だったな。私に合わせてくれたのかな……。二人の中ではもう決定みたいになっている。まあ、いいかな……!? それはそれで楽しそうだし。
「あれが龍壁だな」
 无限大人が指差した白壁の上の黒い屋根は龍を模した形をしていて、背のようにうねり、その先端には立派な顔がついていた。庭を歩いて行くと、木陰から建物が現れてくる。会景楼は庭園の中心にあり、一番景観が美しい場所とされている。建物の前には池があり、鯉が泳いでいる。
「ここから見る月は美しいだろうな」
「そうですね……」
 今は明るい昼間だけれど、夜の星明りと灯籠で照らされたらさぞ趣のある景色になるだろう。无限大人と月を見たことはあったっけ。食事の帰り、暗い道を送ってもらった時に夜空に輝いていた月の形はどんな形だったか。もっと、无限大人といろんなものを見たい、と願う。同じ景色を見て、感じたことを伝え合いたい。
「お腹空いたなあ」
 小黒はもう庭を見飽きてしまったようだ。
「そろそろ出ましょうか」
「だいたい見終わっただろう」
 会景楼から出口はそう遠くなかった。