「すまないが、小黒を待たせているから帰るよ」
无限大人はそう言って立ち上がる。私も見送るために立ち上がる。
「はい。すみません、来てもらって」
肩を竦める私に、无限大人は微笑んでみせた。
「私が会いたかったんだ」
たった一言で、私は天にも昇る気持ちになる。その笑顔は反則です。
「私も……会えてうれしかったです……」
そう答えるので精一杯だった。頬が熱くて、緩んでしまう。どんなにあなたの態度が私を喜ばせているか、それを知ってほしいーー。
不意に无限大人の腕がこちらへ伸ばされたと思ったら、その中にそっと包みこまれて一瞬何が起こったのかわからなかった。頬が无限大人の胸にあたり、一気に熱が全身に広がる。
「う、无限大人……っ?」
无限大人は私を抱きしめて、そっと囁いた。
「その笑顔が見たかった……」
「……っ」
鼓動が大きく騒いで、无限大人に聞こえてしまうのではないかと心配になるくらいだった。
「次の休みがわかったら連絡するよ。そのときにゆっくりお祝いしよう」
「は、はい……! 待っています!」
そっと体が離され、余韻に包まれたまま、お別れを告げる。无限大人が立ち去ったあとも、その笑顔が網膜に焼き付いていた。
无限大人の足音が離れていって、ようやくドアの鍵を閉める。ソファに一人座り、また左手の薬指に嵌っている指輪を見つめる。蛍光灯の光を反射して、きらりと輝いている。
「……きれい」
笑みが溢れてきて、クッションを抱えて横向きに倒れ込んだ。ソファのスプリングが軋んで、少し身体が跳ねる。それもおかしくて笑ってしまった。少し前まで、いろいろ考えて落ち込んでいたのに、うそみたいに晴れてしまった。无限大人は、きっとずっと先のことまで考えて、その上で私に想いを告げてくれたんだ。それがわかって、胸がいっぱいになる。私が悩んでいることも、无限大人なら一緒に考えてくれているかもしれない。だから今度、ゆっくり時間が取れるときに話そう。そう決めて、寝る仕度をした。
翌日職場に行って、雨桐にすぐさま手元を見られ気付かれた。
「へえ~、いいプレゼントもらったじゃん」
にやーっとして言われるので、照れながらも嬉しくなる。
「えへへ。そうなの。すごく綺麗でしょ」
「うんうん。なんか、无限大人の選ぶものってかんじする」
「うん……。ずっと傍にいてくれてる気がするの」
「はー、夢中だねえ」
「あはは。ごめん。でも、そうかも……」
「いーよいーよ、どんどん惚気なさいよ」
「ふふふふふ」
どうしても笑顔が止まらなくて、雨桐に呆れられながらも嬉しい気持ちが膨らんでいく。指輪が指を締め付ける適度な力加減が、まるで手を握ってもらっているように感じられて、本当にいつもそばにいてくれているような、守られているような気持ちになった。
「でももう指輪贈るなんて、気が早いというか、もうその気ってことかね」
「え?」
なんの話かと首を傾げると、だから、と雨桐は呆れ気味に言った。
「それ、プロポーズじゃん」
「…………。…………。…………え!?」
「長いのよタメが。え、じゃないでしょ。薬指にしてるのに」
「え!? でも、だって、誕生日プレゼントだし……」
「プロポーズされてないの?」
「さっ、さ、されてないよ!」
「えー、まじか」
心臓がばくばくと音を立て、いまにも破れるんじゃないかと恐くなるくらい血圧が上がる。だって、そんな、まだ、付き合ったばかりなのに!?
「まあ、学生じゃあるまいし、付き合うとなればその先を見据えて、ってことにはなるわよねえ」
「うう、でも、そんな……」
そんなことは、言われていない。指輪を嵌めてくれたけれど、それだけだ。だからこれは、ただの誕生日プレゼントのはず。
「早すぎない……?」
「いいんじゃない。双方にその気があれば」
「その気……」
だから、両想いになっただけでいっぱいいっぱいで、その先のことなんて考えられないんだってば、という訴えは声にならなかった。どうしよう。无限大人がその気だったら。嬉しすぎて死んでしまう。
きっと先のことも考えて気持ちを伝えてくれたって思ったけど……先って、そういうこと? でも、无限大人は四百年以上生きてる仙人で、普通の人とは違うから……。どういうことになるんだろう。
この指輪は、何を意味しているの?
翡翠の石に問いかけたけれど、石はただ美しく光るばかりだった。