3.ひとつの不安

「今日、会えなくなったんだって?」
「うん……」
 仕事の終わり際、雨桐が声を掛けてきた。本当なら、これから无限大人と過ごすはずだった。でも、任務が長引いてしまって、まだ帰れないと電話があった。
 雨桐は慰めるように私の肩に手を置いた。
「忙しい人だもんね。これからも、きっとこういうことあるだろうね」
「うん。それはいいの。わかってるから」
 无限大人がどれくらい忙しいかはこの一年でよくわかっていた。それでも、時間を作って私と過ごしてくれていた。だからこれは仕方のないこと……そう想いながらも、胸の奥に重いものが沈んでいる。
「じゃー、今日は私とご飯食べよっか!」
「わっ」
 雨桐は私の首に腕を掛けて、行こう行こうと引っ張った。引っ張られると、思ったよりも足が重くて、そんなにへこんでいるんだとあらためて気づいた。雨桐はそのまま駅前のレストランまで私を連れてきた。普段入るところよりは、心持ちお高めだ。席に付くと、雨桐は大きな紙袋を私に差し出した。
「はい、プレゼント」
「わあ、おっきい」
 受け取ってみて、その重量にもまた驚く。
「帰ってから開けてくれたらいいけど、アルバムにしたの。よく写真撮ってるっていってたから」
「アルバム! 嬉しい……!」
「これからもいっぱい撮るんでしょ」
 そう言ってにやにや笑うので、少し恥ずかしくなる。无限大人が私の恋人になってくれたなんて、やっぱりまだ実感が湧かない。
「うん、いっぱい撮りたいな」
 去年作った、一度は見れなくなったアルバム。続きを作れるなんて、あのときは思ってもみなかった。これから、たくさん作っていけたらいいな。
「幸せいっぱいで羨ましいね」
「えへへ……でも、雨桐こそ彼氏とうまくいってるでしょ」
「まあね」
 にやりと笑って、雨桐はお酒を飲む。今日のお酒は飲みやすくて、気を付けないとたくさん飲んでしまいそう。
 楽しく雑談をしていたのに、お酒がよくない方に回ってしまったのか昨日の悩みがまた浮かんできて胸がもやもやし始めた。酔いと混じって、あまりいいものではない。このまま抱えているのもつらくなってきて、迷いながら言葉を探す。
「ねえ、雨桐」
「ん?」
「いままで、妖精と人間が恋人になったことってあるのかな」
「さあ……」
 私は聞いたことないな、と答えが返ってきて、やっぱりそうかと思う。私も、館で働いているけれど、ほとんど聞いたことがなかった。両親に聞けば、もしかしたらそのケースがあるかもしれないけれど、きっと少ないだろう。
「急にどうしたの?」
「うん……。私と无限大人って、寿命が違うでしょ」
「ああ……」
「だからね、気になっちゃって……」
 ワイングラスを指先でなぞりながら、ぽつぽつとまとまらない気持ちを吐き出していく。
「私の周囲にはもともと妖精がたくさんいたの。だから、私にとっては妖精の知り合いも、人間の知り合いと変わらなかった。子供のころから知っている妖精が、私が大人になってもまったく姿が変わっていないって経験もしているから、理解はしているつもりなんだけど……」
 実際に、无限大人とそういう状況に直面したら、私はどう感じるだろうか。私はおばあちゃんになって、髪が白くなって、肌も皺が刻まれて、一方で无限大人はぜんぜん変わらず、髪は艷やかで、肉体も若々しいままで……。なんだか、想像がつかない。その状況を私はちゃんと受け入れられるのか、それとも。
「確かに、そういう問題はあるよね」
「少し不安になっちゃった」
 雨桐は何かを言おうとして一度口を閉じ、再度開いた。
「それはもう、无限大人と話しておくしかないんじゃないかな」
「そうだね……」
「これから、二人で向き合っていくことになる問題だろうから。一人で抱え込まないように」
「はい」
 まだ、自分の中でも芽生えたばかりで、何がどう不安で、どうしたいかがはっきりしないから、漠然とした気持ちだけ伝えるのもどうかと思う。もう少し、自分の中でまとまってから話してみようかな。
「聞いてくれてありがとう。自分の中でも少し整理ができたかも」
「いくらでも聞くからさ。あんたはすぐ一人で悩むんだから」
「それは……否定できないね」
 ついそんなことないと反射的に言いかけてから雨桐と会ったあとのことを思い出し、苦笑する。でしょ、と雨桐はわかったように笑ってみせる。少なくとも、私には悩みを受け止めて、助言してくれるいい友達がいる。
「无限大人だって、ちゃんとあんたの言葉聞いてくれるでしょ。軽い気持ちでそのとき思ってることを口にすればいいんだよ。もしあとから違ったなって思ったらそう言えばいいんだし。まずは伝えること」
「うん、そうだよね」
 言葉を選ばないのもよくないけれど、選びすぎて飲み込んでしまうのもきっとよくない。无限大人は私の話に耳を傾けて、真剣に考えてくれる人だ。それにこれは、私だけの問題じゃない。无限大人と一緒に向き合う必要があることだ。
 今度話してみよう、と決めると、心の中に沈んでいた重みがそれだけで少し軽くなった気がした。
 ぐるぐると思い悩んでしまう流れがぴたりと止まり、おかげでそのあとは食事を楽しむことに専念できた。美味しいお酒とご飯でお腹をいっぱいにし、気持ちよく店を出た。
「今日はありがとう、雨桐」
「いえいえ。じゃあね」
 雨桐と別れて家に向かう。少しふらつきながら道を歩いていると、无限大人が酔った私を心配して、送ってくれたときのことを思い出した。
 寂しいな。
 素直にそんな気持ちが湧いた。
 无限大人。早く、会いたいな。