2.寿命の差

「小香、明日は誕生日、というものだそうね」
 用件がひととおり終わったところ、深緑さんがそう切り出してきた。
「人間は寿命が短いから、生まれてからの年数を数えるのを大切にすると聞いたわ」
「あはは、妖精に比べたらずっと短いですからね」
 妖精は世界に満ちている霊力が集まって生まれ、人間よりも永い時を生きる。だから時間の感覚は私と深緑さんで全然違うだろう。
「それに、年を重ねるごとにどんどん変わっていくから……。小香、初めて会ったときから、あなたは少し変わったと思うわ」
「そうですか? どんなふうに?」
 変わった、と言われてあまり心当たりはなかったけれど、それだけ私のことを見てくれているのかと感じてうれしくなった。
「うまく言えないけれど……。幸せそうよ」
「それは……まあ……えへへ……」
 確かに、その点ではかなり変わっただろうな。それにしても、深緑さんにまでそう見えるのかと思って照れてしまう。
「まあ、私も、変わったのでしょうね……」
 そう言いながら、深緑さんはふと笑ってみせる。館での暮らしは楽しいようで、いまのところ困りごともなく、順調なそうだ。
「そう、誕生日はお祝いするものだそうね。おめでとう、小香」
「ありがとうございます」
 お祝いを告げると、満足したように深緑さんは立ち上がり、帰っていった。
 人間の寿命は短い。妖精の寿命は長い。それに、老化がない。
 无限大人はどうなんだろう、とふと考える。四百年も生きているし、見た目も三十代くらいからずっと変わっていないのだろう。やっぱり、妖精に近い人なんだ。そんな人が、私の存在を見付けてくれて、足並みをそろえて、目線を合わせてくれる。やっぱり、すごいことだ。
 でも、これからはどうだろう。私は毎年、歳を重ねていく。でも、无限大人はきっと変わらない。
 ずっと若く、美しいまま。

 子供のころから妖精たちと関ってきたから、姿の変わらない彼らと付き合うことは慣れていた。それが当たり前だった。彼らは私とは違う生物で、それを理解した上で接していた。
 だから、无限大人もそちら側なんだということは飲み込める。けれど、変わらないということがこんなに残酷なことに感じられたのは初めてだった。
 私は、无限大人と一緒に生きていきたい。
 いままでは好きという想いを抱えるだけで精一杯で、それ以外のことは考えられなかった。想いが叶った今、新たな未来が見えてきて、同時に問題にも思い至ることになった。
 これから、无限大人とどんなふうに付き合っていけばいいんだろう。いままで通り、いろんなところへ行って、一緒にご飯を食べて、日々を過ごしていく。それだけでいいんだろうか。そうして月日が過ぎていって、私は老いて、去っていく。彼は変わらず、生き続ける。
 その日を思うと、死にたくない、という感情が真っ先に湧き上がってきた。
 私はただの人間だから、どうしようもないことだけれど。
 別れるのが寂しいんだろうか。異なることがいやなんだろうか。そこはまだはっきりとしない。両方かもしれない。
 一緒に生きたい、とにかくその気持ちだけは確かだ。无限大人と、小黒と、三人で。小黒は妖精だけれど、まだ子供だ。きっとこれから成長していく。どこかの時点でそれは止まって、ずっと変わらなくなるだろう。あの二人は同じだ。
 私だけが違う。
 本当に、私なんかが一緒にいられるんだろうか――。

 だめだ、考えているとどんどん気持ちが落ち込んでいく。やめよう、と気を取り直したところで、電話が掛かってきた。无限大人だ。どうしたんだろう、こんな時間に。
「もしもし?」
『小香か。……すまない』
 その声音は初めて聞くと言ってもいいほど沈痛としていて、よほど何か悪いことがあったのかと不安になる。
「どう……したんですか?」
 恐る恐る促すけれど、彼には珍しくなかなか返事が返ってこない。
『実は……』
「はい……」
 そんなに言いにくいことなのだろうか。先程まで考えていたことも相まって、指先から血の気が引いていく。少し深呼吸する音が聞こえて、无限大人が痛みを堪えるような様子で続けた。
『実は、任務が長引いていて……、明日は会えなくなってしまった……本当にすまない』
「あ……」
 どきりと心臓が震える。わななく唇をむりやり抑え込み、務めて明るい声で答えた。
「わかりました。私は大丈夫ですから」
 任務ですもの、仕方ないですよーーそんな物わかりのいい言葉を続けようとすると、无限大人の声が被さってくる。
『必ず埋め合わせはする。本当にすまない。できるかぎり早く終わらせて帰る。だから、待っていて欲しい……』
 あまりに必死な声音で、本当に申し訳なく思ってくれていることが伝わってくる。今、じわりと目尻に浮かんだのは暖かいものだった。
「……あはは! あんまり深刻な様子だから、びっくりしました! 誕生日に間に合わないっていうだけですよね? だったら、いつでもいいですよ! 无限大人に祝ってもらえることが一番嬉しいんですから。むしろ、無茶しないでくださいね」
『小香……』
「でも……なるべく早めに会えたら嬉しいな」
 少しだけ、わがままを伝えてみる。声が震えていなければいいんだけれど。これくらいなら許されるだろうか……という私の気持ちを吹き飛ばすように間髪を入れず返答がくる。
『もちろんだ。二十六、いや二十七日には必ずーー』
 无限大人が言い切る前に後ろから急いだ様子の呼び声があったようで、无限大人の声が通話口から離れる。
『すまない、また連絡する』
 手短に告げて、慌ただしく電話が切れる。別れを惜しむ暇もなかった。それだけ忙しいのだろう。だから仕方がない……。
 頭では理解しようと務めても、返事をすることもできなかった行き場のない気持ちが胸に重く沈み、涙が溢れそうになる。なんとか飲み込んで、気持ちを落ち着けようと深呼吸する。
 それにしても、すぐに電話を切らなければならないなんて、大丈夫だっただろうか。任務が長引いてしまうなんて、何か問題が起こったのかもしれない。不安な気持ちが暗澹とのしかかってくる。
 无限大人が、無事に帰ってきて、また会えますように。