14.知ってしまったから

 大通りから少し離れると、かなり人通りは少なくなった。
 しばらく無言で、並んで歩く。今日は、期待していた以上のことばかり起こっていて、なんだか心がふわふわしてしまう。お酒のせいも少しはあると思うけれど。
 私は、この人のことが好きなんだな……。
 館の執行人で、四百年以上生きていて、小さな弟子がいて。とても強くて、優しくて、穏やかな人。その人と、こうして同じ時間を過ごせていることがとても不思議。私が望んで、彼が応えてくれたことがとても幸運なことに感じる。そして、それはそう何度もあることではないという危機感もある。また誘ってもいいと言ってくれたけれど、本当にいいんだろうか、迷惑じゃないだろうかと尻込みしてしまう自分もいる。でもきっと私は、声をかけずにいられないんだろう。時間は限られている。思いが溢れてしまって、どうしようもない。
 こうして並んで歩いているだけで、身体中から幸せが溢れてくる。
「もうすぐ、春節でしたっけ」
 日本のお正月は終わったけれど、こちらでは旧正月の方を大事にするという話だ。
「たいていの人は長期休暇を取って実家に帰るそうですけど……」
「妖精には関係ないからな」
「そうですよね……」
 執行人のお仕事も、休みになるというわけにはいかないらしかった。
「うちの部署は、人間が半分くらい働いているので、私たちはお休みをいただくんです。だから一度日本に帰ろうかとも思ったんですけど、友人がうちの実家に来ないかって誘ってくれて。春節ってどんなものか体験してみたかったので、お邪魔することにしました」
「それはいいな」
 雨桐の実家では、昔ながらのやり方でお祝いをしているそうだ。日本とはずいぶん違うと聞いている。どんな風なのか楽しみだ。
「私も、少しは休みがあるから、小黒と過ごすよ」
「いいですね。どんなことをするんですか?」
「そうだな。対聯を書いて、提灯を飾って……。魚や餃子なんかを食べるよ」
「そうなんですね。日本だと、神社にお参りをして、お節やお餅を食べますね」
「そうか。餅ならこちらでも食べるな。少し違うかもしれないが」
「縁起のいいものを食べる、という意味では同じですよね」
 食べるものは違うけれど、名前や形などからいい意味を連想するようなものを食べる習慣は同じというのは面白いと思う。
「こちらに来る前は、もっと似ている部分が多いかと思っていましたけど、使う漢字もずいぶん違うし、やっぱり外国なんだなと思うことが多いです」
「そういうものか」
「知らないことばかりで、楽しいです」
「なら、よかった」
「来てよかった」
 あのとき、決断していなかったら、今こうしてこの人と言葉を交わすこともなかった。海を隔てた国で、お互い存在を知らないまま。
 でも、もう知ってしまったから。
 言葉を交わす間に、もう自宅前についてしまった。
「すみません、わざわざ送ってもらって」
「かまわない」
「今日はありがとうございました。あの……」
 そのあとの、言葉が出てこない。まだ、お別れを言いたくない。次の約束をしたい。でも、なんて言えば。
 じっと彼の顔を見つめたまま、無言の時間ができてしまった。
「……あの。楽しかったです……」
「うん。寿司、美味しかったよ」
「よかったです! 他にも、美味しい和食たくさんあるので、无限大人に、食べてほしいな……」
「また案内してくれ」
「……はい!」
 それはきっと社交辞令じゃないって、信じたい。
「では」
「お気をつけて」
 玄関を開けるふりをして、鍵を手に持ったまま、振り返って彼の背中を見送る。曲がり角で見えなくなって、ふと寂しさがこみ上げた。