書類を確認していると、无限、の名前を見付けてどきりとした。あの人のことだろうか。それも、一枚だけではない。たくさんの書類の中で、彼の名前が出てくる。彼は執行人の中でも最強と言われていて、様々な問題を解決している。特に戦闘が絡む問題が多いようだ。佇まいを見る限りはとても静かな人という印象だった。あの人が、とても強いというのが不思議だった。けれど、どこか揺ぎない頑強さも感じられていて、それは彼の持つ力から醸し出されていたものだったのかもしれない。
私の親も、その前も、妖精と関わる仕事をしてきた。だから、生まれたときから妖精の存在は身近で、社会で生活することを手助けすることは当たり前のことだった。彼は人間だけれど、400年も生きているのだと楊さんに教えてもらった。そんな仙人のような人は、日本にはいなかった。霊質を操ることに長けている人はいたけれど、きっと彼は私の知っているどの人よりも強いだろう。そんな存在と出会えたなんて。一度きりの邂逅だけれど、それだけでなんだか大陸に来た意味があるように思えた。
入口の戸が開けられた音がする。お客様だ。
「はーい、ただいま参ります」
声をかけながら、足早に入口に向かう。そこにいたのは彼だった。まさかこの短期間でまた会うことになるとは思わず、声を失う。今度は、漢服ではなく、シャツにグレーのベスト、丈の長いコートに白のスラックスという服装だった。髪型は前と変わらないけれど、それがよく似合っている。
「どうも」
彼に挨拶をされて、なんとか硬直していた身体を動かす。ぎこちなく頭を下げて、やるべきことを思いだそうとする。そう、ご用件をお伺いしなければ。
「本日はいかがなさいましたか」
「これを提出に」
彼は鞄から封筒を取り出した。私はそれを預かって、中を検める。
「ありがとうございます。承りました……」
と、答えようとして、一枚目の書類に目を止める。
「これは……?」
取り出してよく見ると、真っ白の紙に筆でらくがきしたようなぐちゃぐちゃの線が書かれている紙だった。
「あ」
彼はそれを見て口を開け、そそくさと私から紙を受け取り鞄にしまった。
「余分なものを混ぜてしまった。子供のらくがきだ」
「では、念のため確認しますね」
ぱらぱらと残りの書類を確認すると、それ以外には挟まっておらず、必要な分が揃っていた。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「うん。よろしく頼む」
「はい」
彼はそう言って帰っていった。封筒を胸に抱いたまま、戸に嵌った硝子越しにその背中を見送る。揺れる髪に日差しが当たり、艶やかに反射している。
二度も会えた上に、少し話せた。
嬉しい。
素直にそう思ってしまった。そう何度も会えないと思っていたから。やっぱり、素敵な人だ。書類に書かれていた流麗な文字と、らくがきを思い出して、笑みがこぼれる。子供のらくがき、と言っていた。
そこで、ん、と疑問が浮かぶ。
子供?
あの人、子供がいるのだろうか。
仙人のような人だと思っていたけれど……。
ということは、結婚しているのだろうか、と考えて、ぎゅっと胸が苦しくなった。あれだけ素敵な人なのだから、何もおかしくない。私はただ、二度会ったことのあるだけの、仕事上の繋がりしかない。だから、こんなにショックを受けるようなことじゃないのに。
胸の痛みは、どうしても拭えなかった。