「どうぞ、あがってください」
玄関を開けて、靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。来客用のものを无限大人に用意して、履いてもらう。こちらでは靴を脱ぐ習慣はないけれど、やっぱり履き替えないと変な気持ちになるのでスリッパを履いている。アパートはまだ新しく、ソファやテーブルやテレビなどの家具は備え付けだ。匂いはよそよそしく、自分の家だという実感はまだ湧いていない。そこに、无限大人が佇んでいるのがなんだか不思議な光景だった。
「材料は買ってあるので、さっそく作りましょうか」
手を洗って、材料をテーブルの上に並べる。強力粉、薄力粉、青葱、ごま油。今日は葱油餅を作ることにした。
「まずはお湯で混ぜます」
強力粉と薄力粉を菜箸で混ぜ、つぎに水を入れて混ぜる。まとまってきた生地を无限大人に任せ、しっかり捏ねてもらった。无限大人の手のひらで伸ばされる生地は柔らかに伸び、しっとりとしていく。捏ね終わったらラップをして一時間程度寝かせる。その間はやることがないので、お茶を淹れることにした。无限大人にソファに座っていてもらい、お湯を沸かす。部屋に无限大人がいることを改めて意識して、頬に熱が集まった。
「写真、まだ飾ってくれているんだな」
「えっ?」
突然話しかけられて、なんのことかわからなくなる。写真。そうだ、前に飾っていたものを、ここでも飾っていた。小黒と无限大人と私の三人のものと、无限大人ひとりのものと。
「あっ……。ご存知だったんですね……」
前に飾っていたのも見られていたと気付いて、真っ赤になってしまう。それって、気持ちがばれていたということでは……。
「また、三人で出かけたいね」
「はい……。お忙しくないときに、ぜひ」
无限大人はそれ以上は言わず、話題を変えた。こちらに戻ってから、まだ小黒には会えていない。ちゃんとお別れを言えなかったことを謝って、こちらに住むことになったことを伝えたい。
「小黒は、元気にしていますか」
「うん。君とのことを報告したよ」
「えっ……! 小黒、なんて言ってましたか……?」
どきりとして、おずおずと訊ねる。无限大人は笑った。
「よかったね、と。あの子には、ずいぶん気をもませてしまったからな。馬鹿と言われてしまった」
「そんな……。小黒は、私の気持ちを知ってて、応援してくれていたんです。だから……よかったです」
嬉しい報告ができて、よかった。无限大人は笑みを深めた。
「あの子の方が先に気付いていたなんて、少し悔しいな」
「私は……隠すのがあまりうまくないので、知られてしまうんじゃないかとひやひやしてました……」
火を止めてお湯を茶壺に注ぐ。一杯目は捨てて洗茶し、二杯目をコップに注いだ。
「知られてしまったら、もう、一緒に遊びにいけなくなると思って……」
「苦しい思いをさせてしまったな」
「いえ。そんなことはありませんよ」
コップを置いて、ソファに並んで座る。端に寄って、无限大人と少し距離を開ける。こんなに近いと、どうしていいかわからなくなる。
「でも、押さえるのはとても大変でした。だって、どんどん好きになっていくから……。想いがどんどん溢れてきて、伝えてしまいそうになって……」
「小香……」
こんなにもあなたのことが好きで、どうしようもない。今、あのときの私の気持ちがすべて報われている。
「そんな君の瞳に、私は魅入られてしまったんだ」
无限大人がまっすぐに私を見つめる。その瞳から、目が逸らせない。
「无限大人……」
そのまま、顔が近づいてくる。動けなくて、鼻が触れそうになって、目を閉じた。
そっと、唇が重ねられた。