86.伝えたい

「ようやく一段落ついたわね」
 雨桐はお菓子の袋を開けながら溜息を吐いた。
「目が回る忙しさだったねえ」
 私も肩を揉みながら答える。八月も終わりになって、ようやく仕事が落ち着いてきた。
「それで、どうなってるの」
「何が?」
「无限大人との進捗よ」
「しっ、進捗ってほどの……ことはないけど……」
 お菓子を指でつつきながら、もごもご答える。これということは起きていない。でも、悪くはないんじゃないか、と思ったりしてしまっている。だって、うちでカレーを食べてもらったし、向こうのホテルにお邪魔したりしたし……。
「頬についたクリーム、とってもらったり……」
「それは、そうそうしないわね」
「そう、なのかなあ……」
 无限大人の感覚は、普通とは違うかもしれない。だから、深読みしてしまっているだけなのかも、という疑惑が拭えない。
「しないって。あんただけだよ」
「わ、私だけ……? いや、小黒にもするよ」
「小黒は子供でしょ」
「う……」
「絶対私にはしないって」
「そ、それは……確かに……」
 少しだけなら、特別なのかもって、思っても、いいんだろうか。
「それで、本当に帰っちゃうの?」
「うーん……。悩んでる……」
「いいじゃん、こっちにいれば」
 家族も、強くは反対しないと思う。残念がるとは思うけれど、もう二度と会えなくなるわけじゃない。こちらでうまくやっていると知って、喜んでくれた。楊さんも、このまま残ることを賛成してくれるだろう。だから、あとは私が決めるだけだ。
「どうして悩んでるの?」
「もし、告白してうまくいかなかったら、そのときどうするか、自信がないの」
「日本に帰っちゃうかもってこと?」
 それは周りに迷惑を掛けることになってしまう。一度こちらにいると言ったのに、結局戻りたいなんて、わがままもいいところだ。
 けれど、やっぱり自信が持てない。无限大人がいなくても、私はこちらにいることを選べるだろうか。
「それはそのとき考えればいいと思うけどね。考えすぎても動けなくなるだけだよ」
 一度、楊さんに相談してみようか。でも、心を決めてからの方がいい気がする。
「案外、うまくいくんじゃないかって思うけどね」
「それは楽観的すぎるかも……」
「傍から見ればそう見えるってこと」
「そうなの……?」
 雨桐の言葉を素直に喜べればいいけれど、やっぱりそう簡単にはいかない気がする。でも、もし、万が一。万が一があるなら……。
「……伝えたい……」
 胸に手のひらを当てて、自分の鼓動を聞く。もし、うまくいったら。そのときは、こちらに残ることにしよう。
「だめだったら、すっぱり諦めて、帰る」
「諦められる?」
「……かなり引きずると思うけど……。そうするしかないから」
 もう、曖昧なままにしておけない。ここまで来てしまったら、後は行動するしかない。
「頑張れ。応援してる」
「ありがとう」
 なんだか、もう泣けてきてしまった。
「雨桐、いままで本当にありがとう……」
「ちょっと、まだ終わってないでしょ。気が早いよ」
「うん……そうだね……」
 目元を拭い、お菓子を食べた。一人では、こんなに大きな気持ちを抱えきれなかった。雨桐がいてくれたから、ここまでこれたんだ。本当に、私は良縁に恵まれた。
「で、いつやるの?」
「う、どうしよう……」
「決めたんならさっさと行け!」
 ばし、と雨桐に背中を叩かれて、呻く。いざ、そう言われると、躊躇ってしまう。でも、やらなきゃ。伝えなくちゃ。