84.見つめ返される

「こちらにきて、たくさんのことを学べました。同じ館でも、やっぱりいろいろやり方が違っていて……。すべてを適応することはできないですけど、一部はうちでやったらよくなるんじゃないかってことがありました」
 こちらで学んだことを振り返って、帰ってから役立てられるようにと、記録しておいた。紅茶を飲んで、ケーキを一口食べる。甘いクリームと、瑞々しいフルーツがよく合う。无限大人もコーヒーを飲みながら、私の話を聞いてくれていた。
「どう違うのか、興味があるな」
「もし都合がつけば、一度来て欲しいです」
「うん、行こう」
 无限大人ははっきりと頷いてくれた。でも、无限大人はこちらできっとやることがたくさんあるだろう。みんなが无限大人のことを必要としている。だから、日本に来てもらえるとしても、そう長くは難しいだろう。けれど、来たいと思ってくれる気持ちがとても嬉しかった。
「優秀な執行人はたくさんいる。少しくらい抜けても大丈夫だよ」
「そうでしょうか。なんだか申し訳ないです」
 ふと、无限大人が私の顔をじっと見る。どきりとしてカップを持ったまま硬直してしまった。
「……な、なんですか?」
 何か言う前に、无限大人は手を伸ばしてきた。触れてしまう、と肩を竦める。无限大人はふ、と息を漏らして笑った。
「クリーム、ついていたよ」
「あ……」
 无限大人は指につけたクリームをぺろりと舐めた。かっと顔が熱くなる。なんとか零さずにカップを置いて、ペーパーナプキンで頬を拭った。
「やだ、すみません」
「ふふ」
 こんなことを何気なくやってのける无限大人が少しうらめしくなる。何とも思っていないんだろうけれど、こちらは心臓が破れそうで苦しいくらいなのに。
「もう、教えてくれたら自分で拭くのに……」
「私が拭った方が早いだろう」
「そういう問題じゃないです」
「そうか?」
「そうです……」
 本当に気持ちが伝わっていないか、疑わしくなる。私の気持ちを知らずにこんなことをするなんて、子供扱いじゃないならなんだろう。私の気持ちを知っていて、こんなことをするなら?
 もし、そうなら……。
 じっと凝視したら気持ちが見透かせないかと思って、无限大人の顔を見る。意外と、感情豊かな人だ。今は、どんな感情でいるんだろう。リラックス? 楽しい?
 无限大人は私の視線に気付くと、カップをソーサーに置いて、見つめ返してにこりと笑った。その笑顔に心臓を射抜かれる。もう、何もわからない。ここまで親しくしてくれるのは、どうして。私は、あなたにとってどんな人間ですか。
 聞きたくてたまらなくなる。確認したくてしょうがない。
「无限大人は……」
 どきどきして、咽喉がからからになる。なんて言えば望んだ答えが返ってくるだろう。
「私のことを、その」
 考えながら、言葉がつまる。无限大人は、私が言い終わるのを待ってくれている。
「……どんなふうに、思っていますか」
 言ってしまった。途端に、意気地がなくなって慌てて付け足した。
「子供みたいに思っていませんか?」
「はは、そんなことはないよ」
「そりゃ、私はずいぶん年下でしょうけど……」
「歳の差が気になる?」
「気に、なります……」
「そうか。でも、私は対等に付き合ってきたつもりだよ」
「……対等に……」
 その言葉は、思っていた以上に嬉しかった。でも、私はいつも守られてばかりで、気を使ってもらっていて、今も余裕がないのは私ばかりで。全然、対等になんてなれない気がする。
「君は立派な大人の女性だから」
 そう言って私を見つめる瞳は、どこまでも深くて、暖かかった。