近頃は无限大人は忙しくしているようで、ほとんど連絡が来ることはなかった。八月も後半になって、突然電話が掛かってきたので、何かあったんだろうかとどきどきしながら電話に出た。
「もしもし?」
『小香か。実は、折り入って頼みがあるんだが』
「なんですか?」
无限大人がこんな風に言うなんて珍しい。私でできることならなんでもしたい、と了承する気満々で話を聞いた。
『九月までに書類をそろえなければならないんだが、少々量が多いんだ。小黒の分もあるから。そこで、君の手を借りられればと』
「もちろんです!」
『では、今度の休みにホテルに来てくれるか』
「わかりました!」
それなら私の得意分野だ。必要な書類を聞いておいて、予備を揃えておくことにした。年度末だから、私の職場も忙しくなっている。无限大人も書類を捌くのは大変なんだな、と思うと少しおかしかった。
当日はホテル近くの場所で待ち合わせをして、そこからホテルに向かった。无限大人が寝起きしている場所、とつい意識してしまう。そこに足を踏み入れるのは、少し勇気が必要だった。
「お邪魔します」
「適当に座ってくれ」
机の上にはいろんな書類が乱雑に広げられていた。仕事の途中だったらしい。
「今日は、小黒は?」
「若水たちと遊びに行っているよ。その間に片付けようと思ったんだが」
確かに、小黒がいたら集中できないかもしれない。
「必要なものが揃っているかわからなくなってな……」
无限大人は頭をかきながら、途方に暮れたように言う。手元にある書類から目を通して、ちゃんと揃っているか分類に着手した。
「あ、これ一枚足りないです」
「そうか。どこにやったかな」
「持ってきているので大丈夫ですよ」
書類の山をひっくり返そうとする无限大人を止めて、鞄から書類を取り出す。
「ここと、ここに記入してください」
「わかった」
无限大人はボールペンでさらさらと文字を書いていく。彼の書く字は古風だけど綺麗で、彼自身の美しさによく似ていた。
「あとは……」
残りの書類も確認しながら分けていく。何枚か足りないものがあったので无限大人に書いてもらい、着々と片付けて行った。
「助かったよ。君がいなかったらもっと掛かっているところだった」
「お役に立てたなら嬉しいです」
すっきりと片付いたテーブルの前で、无限大人はほっと息を吐いた。
「お礼にルームサービスを奢ろう」
「そんな、結構ですよ。こちらがいつものお礼をしたいくらいなんですから」
「そう言うな。どれが食べたい?」
「それじゃあ……」
无限大人にはいつも押し切られてしまう気がする。でも、好意を無下にするのも申し訳ないし、ここはありがたく受け取っておこう。
私は紅茶とフルーツケーキを頼むことにして、无限大人はコーヒーを頼んだ。
待つ間、部屋の中にあるベッドが気になってしまった。あそこで、无限大人は寝ているんだ。どんなふうに寝るんだろう。髪はほどくんだろうか。そんなことを考えてしまって、よこしまな自分に気付き慌てて首を振って思考を中断した。いけない。なにか会話をして気を逸らさなくちゃ。
「えっと、最近、忙しそうですね」
「君もだろう。楊に聞いたよ。この時期はやはり仕事が立て込むようだね」
「ちょっと残業が続いちゃってますね。でも、しょうがないです。この時期は」
「無理はしないように」
「ありがとうございます」
仕事の話をぽつぽつとしているうちに、ドアがノックされ、ルームサービスが届けられた。