「小香」
久しぶりに私を呼ぶ声に、心がふわりと飛んでいきそうになる。
「お待たせしました、无限大人」
小走りで駆け寄って、並んで歩く。今日は、小黒は一緒じゃないそうだ。仕事がようやく落ち着いてきて、一息つけるようになったころ、无限大人からまた電話がかかってきた。またどこか見付けてくれたのかなと思って以前よりは気楽な気持ちで出たら、なんとご飯のお誘いでのけ反りそうになった。なんとか落ち着いて返事をして、場所と時間を決めて電話を切った。もう何度か一緒に行っているのに、まだどきどきしてしまう。しかも、今度は二人きり。
というか、无限大人に直接誘われた。特に理由もなく、何かの流れというわけでもなく、无限大人の方から、私を思い出してくれて、食事に行こうと言ってくれるということが私にとってどれだけ大事件か、考えるだけでくらくらする。近頃忙しいことを気にしてくれていたから、労おうと思ってくれたのかもしれない。それは嬉しすぎて死ねる。无限大人の考えはわからないけれど、とにかく当日まで舞い上がって過ごした。
そして今日、行先は无限大人のリクエストで、日本食の定食屋さんにまた来ることになった。无限大人は、オムライスを頼んでいた。
私はカレーライスにすることにした。
「カレー、日本を離れてから食べてなかったな」
「カレーか。こちらでも売っているところはあるが、食べたことはなかったな」
こちらでもルーは売られていて、日式カレーとして知られているようだ。まだ食べてみたことはないけれど、中国の人の口に合うようにアレンジされているらしい。
「美味しいですよ。味見してみますか?」
「気になるな」
自分で言ってから、以前のやりとりを思い出して照れてしまった。「あーん」をするなんて、想像するだけで恥ずかしくなってしまう。実際する機会は一切ないんだけれども。
すぐに料理が運ばれてきて、カレーの香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。懐かしい気持ちが膨らんでくる。
「子供のとき、毎週金曜日はカレーの日だったんです」
「毎週?」
「はい。いつからか、なくなっちゃいましたけど……。懐かしい習慣です」
「いい習慣だな」
いろいろと思い出してきて、つい子供のころのことを語ってしまった。无限大人は興味深そうに、相槌を打ちながら聞いてくれる。だから、少し話しすぎてしまった。
「すみません。私の話ばかり」
「いや。私が聞きたかったから」
「そうですか……?」
優しくそう言ってもらえて、単純に喜んでしまう。私自身に興味を持ってもらえてるとしたら嬉しいけれど、異文化が面白いのかな。
「今日は、君の話をいろいろと聞きたいと思って誘ったんだよ」
なのに、そんな風に彼は言い直して、私はどう受け取っていいのか戸惑ってしまう。
「そんな、面白い話はできないですけど……」
「そんなことはないよ」
あまり話は得意な方ではないし、特段面白いエピソードも持っていない。彼を満足させられるようなものは持っていない。それが申し訳なくなる。せっかく、誘ってもらえたのに。
「雨桐だったら、もっと楽しくお話できるんでしょうけど」
「君の同僚だったか」
「はい。面白いんですよ、彼女の話」
「だが、私が聞きたいのは君の話だから」
「え……」
何か言葉を続けなければと思ったのに、どきりとしてしまって何も言えなくなってしまった。妙な沈黙が下りてしまって、慌てる。
でも、なんだか、さっきから。
无限大人がじっと私の顔を見ているから。
「っと……。あ、ありました! 面白いエピソード!」
なんとか記憶を掘り起こして、ちょっと誇張して話す。无限大人は肩を揺らして笑ってくれる。なんとか会話を続けられてほっとする。気を抜いたら、視線に負けて何も話せなくなりそうだった。
どうして、今日はこんなに无限大人の視線が気になるんだろう。
久しぶりに会ったせいだろうか。しばらく会えなかったのに、好きという気持ちはむしろもっと大きくなってしまった気がする。
あの情人島の前で、気持ちが溢れそうになってしまってから。
私の話、楽しんでくれていますか。私のこと、興味を持ってくれていますか。
もし、そうなら。少し、報われるように思ってしまいます。