45.江心嶼

 お茶を飲み終わって、席を立ち、五馬街を通り過ぎる。バスに乗って、さらに移動した。その先には、甌江が流れている。省内で二番目に大きい川だ。その中に、江心嶼は浮かんでいる。甌江蓬莱と呼ばれる美しい島だそうだ。そこへは、フェリーで移動する。チケットを買って、フェリーに乗ると、五分ほどでついてしまった。
「わあ」
 思っていたよりも大きい島だった。島の東と西に、塔が一本ずつ建っている。振り返ると、街に立ち並んだビルがずらりと見えた。
「ここだけ別世界みたいですね」
 青々と植物が生い茂り、古い洋館が残されていた。歴史の古跡や文化遺産が数多くある、有名な観光地だ。古いものだけではなく、遊園地なんてものまである。
「江心寺って、二百年前に建てられたんですね」
「私の方が年上だな」
「でも、塔は宋の時代に建てられたそうですよ」
「……私より年上だな」
 なぜか悔しそうに言う无限大人に、声を殺して笑ってしまう。江心寺を見て、江心公園を散策し、島の東側外縁をぐるりと巡る道を歩くことにした。
 もともと会話が多いほどではないけれど、それでもぽつぽつと話していたのも途切れがちになり、二人で並んで歩いていることが恥ずかしくなってきた。
「小黒がいないと、静かすぎちゃいますね」
 なんとか会話を続けようとして、話しかける。
「こういうのも、いいだろう」
 そうだな、と答えるかと思っていたのに、そう言われてしまって、余計に頬が熱くなった。私と二人で出かけることを好ましく思ってくれているのなら、それ以上のことはない。気持ちのいい風が、辺りを吹き抜けていく中を、また無言で歩く。でも、もう無言をもどかしく思わない。歩幅を合わせてゆっくりと進むこの時間を、噛みしめる。
「あの島は、橋が掛かっていませんね」
 江心嶼の中は半分ほど水が流れており、さらに小さな島が浮かんでいる。そこに繋がる道があったのだが、今見える島には渡れないようだ。
「情人島か」
「情……っ!?」
 无限大人からその単語が発せられて、思わず過剰反応してしまう。情人、つまり恋人の島。无限大人はそんな私を面白そうに眺めた。
「誰か、一緒に来たい人がいたか?」
 その笑顔を、見つめてしまう。目が潤んで、他に何も聞こえなくなった。紺碧の髪が、風に揺れる。強い意志を感じさせつつも柔らかさのある太い眉、鼻筋、ゆるく弧を描く唇。その瞳に今映っているのは、私だけ……?
「……もう、无限大人と、来ちゃいましたから……」
 どきん、どきん、と心臓が鳴り続ける。
 もし、今。
 何も考えず、何も憂えず、思うように、振る舞えたなら――。
「あはは、残念ながら、いないんです!」
 そんなことは、できない。わざと声を大きくして、島の方へ小走りに向かい、水際まで進んで端末のカメラを構えた。記念に撮っておこう。
 フェリー乗り場に着くころには、太陽はだいぶ傾いていた。
 霊渓会館に戻り、无限大人と別れる。禿貝さんが迎えてくれて、カリ館長のところへ向かった。
「おかえり。温州はどうだった?」
「とてもいいところでした」
 楽しんだようでなにより、と館長は微笑んで、さて、と話を変えた。
「いくつか、選んでみたよ。彼女が気に入るところがあればいいんだが」
「本当ですか? 助かります!」
 禿貝さんが渡してくれた書類の束をありがたく受け取る。
「ただ、情報が古いから、現地調査は必要だよ」
「はい。さっそく調べます」
 調査に問題がなければ、彼女のお眼鏡にも適いそうだ。諦めなければ、きっと見付けられる。妖精が安心して暮らせる秘境を。