44.五馬街

 温州人は商売上手だという話がある。五馬街は、そんな温州最大の繁華街だ。歩行者天国になっていて、車は通れないようになっている。古い町並みを残しながら、新しいものや西洋的なものが混じっている。昔ながらの店があるかと思えば、ファストフード店があったりする。石造りの三階建ての建物が並んでいる向こうには、高層ビルが見える。街の名前の由来だろう、五頭の馬が引く馬車の銅像が立っていた。
「このあたりは麺が有名なんだ」
 无限大人がそう言うので、美味しい麺が食べられるお店を探すことになった。しばらく歩くと、黒い石造りの三階建ての建物が見えた。十八家麺館というお店だ。調べたら、百年の歴史があるそうだ。中に入ってみると、現代風に改装されていて綺麗だった。壁の一面には番地の書かれた看板がびっしりと貼られていた。他の壁には額が飾られている。階段を上がり、二階のバルコニーに出て、そこに座ることにした。五馬街が見渡せて、気持ちのいい場所だ。
 二人とも、温州拌麺を頼んだ。スープはなく、お皿にソースが絡められた茶色の麺が盛られ、その上にひき肉などが乗っている。まぜそばに近いかもしれない。
「美味しいですね」
「うん」
 无限大人は満足そうに黙々と食べている。やっぱり、食べっぷりがいい。こちらは麺料理が豊富だけれど、日本のように啜って食べる習慣がない。なので私もそれに倣う。
「カリ館長の経営手腕はお見事ですね」
「館の資産は共有されているから、他の館も彼に助けられているところはあるな」
「……人が来ない自然溢れたところって、まだ残されているんでしょうか」
 不安が湧き上がってきて、つい弱音を吐く。禿貝さんが探してくれているのに、私がこんなことを言ってはいけないのだけれど、霊渓会館の妖精たちを見たら、これだけの妖精が住処を追われてしまっているという事実に改めて直面した。
「もし、そういうところがたくさんあれば、妖精たちは我慢して館に住む必要はなくなりますから……」
「……そうだな」
 彼は腕を組んで、街を見下ろす。どこまでも建物が広がっていて、緑はほとんどない。灰色の景色。
「もう、日本にはほとんどそんなところはありません。どこも誰かが踏み入ります。もともと、こちらに比べて妖精の数は少ないですけど、人の社会に入れなかったり、入りたくない妖精たちは、館しか居場所がありません」
 お茶のカップを握り締めて、黄色の水面を覗き込む。そこに映る私の表情は頼りなかった。
「君たちのお陰で、妖精たちは居場所を失わずにすんでいる」
「でも……」
 もともとは、と言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛む。
「だから、どうしても深緑さんの希望を叶えたいんです。でも、やっぱりすごく難しくて……。それに、本当はそう望んでいる妖精たちも多いんだって思うと」
 彼ら全員の希望が叶えられればいいのに。
「そう、背負いすぎなくていい」
 カップを握る手の手首に彼の手のひらが被せられて、はっとする。彼は優しく手首を握って、力を抜くようにと微笑んでみせた。
「悩んでいるのは君だけではないよ。言っただろう? 一緒に考えて行こうと」
「无限大人……」
 思いやりの篭った言葉に、涙が滲む。
「私も、心当たりを当たってみよう」
「でも、お忙しいのに」
「そうでもないさ。任務であちこち行くから、もののついでだ」
「……ありがとうございます」
 彼は気にするなというように手首をぽんぽんと叩き、手を離してお茶を飲んだ。
 触れられていた手首がじんわりと熱い。とくとくと、鼓動が鳴る。情けない姿を見せてしまった。でも、優しく悩みを受け止めてくれて、寄り添ってくれた。それがとても嬉しくて、ますます想いが止められなくなる。ただ私が館の職員だからに過ぎないのに、特別に優しくしてもらっているような錯覚さえ持ってしまう。きっとこの人は、誰に対してもこんな風に情深く向き合うんだろう。そこに私が求める特別な理由はない。愛しくて、苦しくて、でももう、離れることなんてできないから。