38.遊園地

 森林公園を抜けると、巨大なジェットコースターと観覧車が見えてきた。遊園地といえば、やっぱりこの二つは欠かせない。
「小黒は前にもここに来たことあるの?」
「うん! 師父が連れてきてくれたんだ」
 小黒は嬉しそうにそう教えてくれた。よっぽどいい思い出なんだろう。
「小香は? 遊園地来たことある?」
「日本にいたとき、いくつか行ったことがあるよ。でも、ここが一番大きいかも」
 話している間に无限大人がチケットを買ってくれていて、ゲートをくぐって入園する。入口に置かれていたパンフレットを一冊手に取って、何があるのか確認する。
「たくさん乗り物があるね。小黒、どれに乗る?」
「ジェットコースター! 乗ろう!」
 小黒はパンフレットを見ずに私の手を引っ張って走り出す。予想外の動きだったのでよろけながらその後を追いかける。无限大人はゆっくりあとをついてきてくれている。
 ジェットコースターに近づいていくと、悲鳴が聞こえてきてびくりとした。傾斜のついたレールを、勢いよくコースターが滑り落ちていく。どれくらいの速度が出ているんだろう。もしかして、結構激しいんだろうか。
「小黒、こちらだよ」
 无限大人が列の最後尾に小黒を呼ぶ。小黒に手を引かれて列に並び、改めてレールを見上げた。やっぱり、かなり高度があるような……。
「小香、どうした?」
「えっ」
 声を掛けられてびくっとすると、思った以上に近くに无限大人の顔があって、また驚いた。
「あ、えっとっ」
 離れようとしても、もう後ろに人が並んでいるので下がることができない。无限大人はじっと私の顔を覗き込んでいる。今度は桜の花じゃなく空の青色を映しこんでいてきれい――じゃなくて。
「顔色が悪いようだが……」
「そ、そうですか?」
 そのとき、またコースターが近くを通り、悲鳴が聞こえて思わずびくっと肩が揺れた。无限大人は私のその様子を見て、案じるように訊ねる。
「こういう乗り物は苦手か?」
「えっと……あんまり、激しくなければ大丈夫なんですけど……」
「小香、怖い?」
 小黒が私の手をそっと握り、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「いやっ、怖いっていうか、どれくらいの速度かわからないなって」
 无限大人は私が持っていたパンフレットを受け取ってじっくり読み、ジェットコースターの説明を見つけてくれた。
「最高時速110kmだそうだ」
「うーん……」
 数字で言われてもよくわからないので、以前乗ったことのあるジェットコースターの速度を調べてみると、それよりずっと速いことがわかった。速度だけでなく、高低差もかなりあるようだ。
「うううん……」
 じわじわと列が進んでいき、私たちの番が近づいてくる。コースターが駆け抜けていく音を聞き、胃のあたりが重くなってきた。
「でも、乗ってみないとどんなものかわからないし……」
 迷う私に、无限大人は優しい笑みを向けてくれる。
「無理はしなくていい。君が楽しんでくれることが一番なのだから」
「无限大人……」
 私を案じてくれる心のこもった言葉がじんと胸に響いて、目元が潤む。こんな風に言ってもらえたら、逆に勇気が湧いてきた。
「大丈夫だよ、小香はぼくが守るから!」
 小黒も頼もしいことを言ってくれる。
「あはは、それなら怖いものはないね」
「でしょ! ぼく強いんだよ。ジェットコースター止めるのは、ぼくはまだ難しいかもしれないけど、師父だったらできるしね!」
 さらっとすごいことを言う。確かに、金系の二人がいれば、事故は心配ないかも。
「じゃあ……チャレンジしてみる!」
 ぐっと両こぶしを握って気合を入れる。无限大人はまだ心配そうな顔をしていたけれど、きっとこんな経験をすることも楽しいことだろう。小黒の勇ましい表情も見れたわけだし。
 そういいつつも、不安は拭えずに重い胃を抱えたまま、緊張しながら列を進み、とうとう私たちの番が回ってきた。ジェットコースターは二人並んで座るタイプだ。私が後ろに行こうとすると、无限大人もついてきて、あれ、と立ち止まる。无限大人は前にいる小黒に伝えた。
「小黒、前方を守ってくれ」
「わかった! 任せて」
 小黒はすぐに頷いて、笑って見せる。私は无限大人に促されて先に椅子に座ることになった。そして、当然のようにその隣に无限大人が座る。私の前に小黒が、そして隣に无限大人がいてくれている。
「隣は私が守るよ」
 无限大人はそう言って、私の安全バーがしっかり固定されているか確認してくれる。思いがけないその言葉と仕草にときめきが勝り、一瞬恐怖が薄らいだ。
「ありがとうございます……」
 照れながらお礼を伝えた直後、がたんとコースターが揺れ、ゆっくりと動き始める。少し進むと傾斜が現れ、そこをどんどん登っていく。慌てて安全バーにしがみつくが、じわじわと恐怖が沸き上がっていく。
「あ、ちょっと、高くないですか、ねえ、これ、高くないですか!?」
 まだまだ登る。果てが見えないほど登っていく。勇気は一瞬で消えさって、心臓は破裂しそうだ。ここまで来てじたばたしてももうどうにもならないのに、言葉が止まらなくなる。
「大丈夫だ、小香。落ち着いて」
「無理、あ、あ、やっぱり無理! 無理です! 怖い怖い怖い!」
 こうなってしまったら恐怖で頭がいっぱいになり、无限大人の声さえ耳に届かない。どうして人間というものは、自ら好き好んでこんな恐怖体験を味わいに、貴重な休日を潰して遠方はるばる足を運ぶのか――なんて頭の片隅で現実逃避を始めた私がいかにもな批評を繰り広げた矢先。
 コースターが山の頂点に到達し、景色を眺めるのもつかの間。
 がくんと質量が支えを失い、恐ろしいほどのうなりをあげて落下していった。

「はあ……」
 永遠に続くかと思われた責め苦から解放されて、ふらふらと地面に降り立つ。
「大丈夫か? こちらに座って」
 无限大人にベンチに誘導されて、へろへろと座り込む。
「小香、すごい悲鳴だったね」
「うう……」
 小黒はけろりとした表情でぐったりした私を眺めている。恥ずかしい限りだ。
「思ったより、激しかったですね……」
 まだぐらぐらと体中が揺さぶられているような感覚が収まらない。倒れてしまいそうな気がしてベンチに手を置いてぎゅっと握った。
「何か欲しいものはあるか? 飲み物はどうだ?」
 无限大人は気を使って話しかけてくれる。まだ何も口に入れる気分になれなかったので、力なく首を振った。
「私は落下が苦手なんだと、学びました……」
 速度はまだしも、高低差があるものがだめらしい。胃の腑が持ち上がり、身体が完全に浮かび上がるのは結構な恐怖だった。命の危険を感じた。あのまま飛んでいってしまいそうな気がした。无限大人と小黒が一緒じゃなかったら、耐えられなかったかもしれない。
「二人が守ってくれたおかげで挑戦できました」
 お礼を言うと、无限大人は意表を突かれたように目を丸くした。
「無理に付き合わせてしまったかと……」
「そんなことないですよ! これはこれで楽しいですから」
 こんな風に无限大人に心配されるのは悪くないし……という心の声はしまっておく。
 无限大人はふっと笑みを浮かべてくれた。
「あなたは勇敢な人だ」
 まだ青ざめているだろう私に、彼は優しい声音で称賛を送ってくれた。その言葉は確かなぬくもりを伴っていて、心の奥まですとんと入ってじんわりと体を温めてくれた。気が付いたら体の力が抜けて、地面をしっかり踏みしめる感覚が戻ってくる。
「そろそろ大丈夫そうです。ごめんね小黒、待たせちゃって」
「ううん! 小香が元気になってよかった」
「血色もよくなったようだ」
 小黒も无限大人も、私の回復を確認して喜んでくれた。二人とも本当に優しくて、胸がいっぱいになる。
「次はどこに行くの?」
「飛行機乗りに行こう!」
「飛行機?」
「大丈夫、今度はそんなに高く飛ばないから!」
 小黒はにかっと笑って私の手を引っ張って走り出した。

 
 たくさんの乗り物に乗り、すっかり童心に帰って楽しんでいると時間があっという間に過ぎて、小黒が空腹であることを急に意識したのでお昼にすることにした。
「おべんと! おべんと!」
 事前に調べたところ、園内には飲食店が少なそうだったので、お弁当を作っていきますと伝えてあった。一人暮らしで普段から自炊はしているので普通に作れる方ではあるけれど、あまり人に食べてもらう機会はないので喜んでもらえるか少し不安はある。
「おにぎりと、唐揚げと、タコさんウインナーと、卵焼きと……。定番ですけど」
 蓋を開けて中身を伝えると、中を覗き込んだ二人の目がきらきらと輝く。无限大人まで食べたそうにしてくれるものだから、くすぐったい気持ちになった。
 お腹が空いてるときならきっとなんでも美味しく食べられるはず。
「どうぞ!」
「わあい」
 小黒はおにぎりを掴んで頬張り、さらに唐揚げに齧りつく。ほっぺたが大きく膨らんだ。无限大人は、唐揚げに箸をつける。普段揚げ物をしないから、これが一番苦労した。でも、焦げずにうまく揚げられたと思う。どうだろう……。どきどきしながら无限大人が唐揚げを口に入れるのを見つめる。
「柔らかくて、うまいな」
 噛んで飲み込んだ後、そう褒められて、緊張が喜びに変わった。
「よかったです! たくさん作ったので、いっぱい食べてくださいね」
「これなんの形?」
 小黒は箸で掴んだウインナーの形を矯めつ眇めつしている。
「タコだよ。こっちはカニ」
「へえー! タコとカニ!」
 小黒は楽しそうに笑ってもぐもぐと食べてくれる。自分の作ったものをこんなに喜んでもらえるとは思わなくて、とても嬉しくなった。残るかも、と思いながら用意したけれど、二人は綺麗に平らげてくれた。
「おいしかった! 小香、料理上手だね!」
「おそまつさまでした。いっぱい食べてくれてうれしいな」
「あのねえ、師父は料理あんまりうまくないんだよ」
 小黒がにやにやしてこっそりそう教えてくれた。意外だった。なんでもできそうな人なのに。
 无限大人は不服そうに眉を寄せている。
「できないわけでは……」
「最近は食べれるようになったもんね!」
 弁明する无限大人も珍しいけれど、にこにこして言う小黒の言葉もちょっと驚いてしまう。
 そうか、无限大人も、普段料理するんだ。
 でも、確かに小黒と二人暮らしなのだから、无限大人が小黒のために料理を作るのは当然のことだった。无限大人の料理……。どんな感じなんだろう。料理をしている姿が頭に浮かんで、どきどきしてくる。それに、家事をしてるんだ、と親近感も湧く。
「小香の唐揚げとタコさんウインナー、また食べたいな!」
 小黒は屈託なく未来の話をしてくれる。そのことに胸がじんとなる。
「もちろん! またたくさん作るね」
「やったあ! 小香大好き!」
 両腕をあげて足まであげるので、ころころと後ろに転びそうになる。けれど体幹がいいのですぐに起き上がり、笑った。ふわふわと猫耳が揺れて、かわいらしい。こんな風に喜んで食べてくれるのだから、无限大人も作り甲斐があるだろう。
 暖かい風が髪を優しくすり抜けていく。もう春はすぐそこだ。