26.身に余るほど

「小香!」
 小黒が駆け寄ってきて、腰に抱き着いた。少し驚いたけれど、受け止めて、頭を撫でる。思っていた通り、ふわふわの髪だ。
「すまない、目を離してしまって」
 その後ろから、无限大人が申し訳なさそうな顔をして謝る。私は慌てて首を振った。
「いえ! 私こそ、逸れてしまってすみませんでした」
 時間としては15分くらいのことだけれど、迷惑をかけたことに代わりはない。
「いいんだ。迷子を助けてたんだろう」
「そんな、たいしたことはしてませんけど……」
 きっと、私がいなくてもお母さんは子供を見付けられていただろう。私は、ほんの少し傍にいただけだ。
「小香、もう逸れないように手繋いでおこう」
「そうだね」
 小黒がそう言って、私の手をぎゅっと握ってくれる。廊下は細いので、あまり横に広がって歩けないから、小黒は私の前に立って、手を引いてくれた。その後ろから、无限大人がついてくる。二人に挟まれているのがなんだか大仰に感じて笑ってしまった。
 退思園を出て、茶館でお茶をしてから帰ることになった。椅子に腰かけて、暖かいお茶でお腹を満たすと、心地いい疲労感が足から肩にかけて感じられた。
「すごく楽しかったです。どこも綺麗で、過去にタイムスリップした気持ちになれました」
「ならよかった。せっかくこちらに来たのだから、いろいろな場所を見てもらいたいと思っていてね」
「ありがとうございます」
 无限大人が私のことを考えてくれていると知るとぽっと頬が熱くなった。
「小黒も勉強になっただろう」
「これ勉強だったの? ぼく遊びのつもりだったよ」
「何も机に向かうだけが勉強じゃないさ。楽しく身に着けることもたくさんあるよ」
「へえー! ぼくそっちの勉強ならいっぱいしたいな!」
「もちろん、机に向かうことも大事だ」
「ちぇ」
 二人の会話は聞いていて微笑ましくなる。やっぱり、親子という距離感とはまた違うものを感じる。友達、というほど親しくはないけれど、師弟、というほどには遠くない。
「他にも、魅力的な場所がきっといっぱいあるんでしょうね。行ってみたいな」
「また一緒に行こうね!」
「もし、よければ……」
 ちら、と无限大人の顔色を窺う。大人はもちろん、という風に微笑んでくれた。暖かい気持ちが心を満たす。本当に、身に余るほどの幸せだ。
「次はどこ行くの?」
 気が早いけれど、待ちきれない様子で小黒は无限大人に訊ねる。
「そうだな……。まだ考えていなかった」
 无限大人はぼんやりとそう答えてお茶を飲み、私を見る。
「どこか、行ってみたいところはあるか?」
「えっと……そうですね……」
 いくつか思いつく場所はある。どこに行ったら楽しいだろう。あまり遠い場所には行けない。連休はあまりないし、泊まりというのは難しい。
「上海も行ってみたいし……北京、はちょっと遠いかな」
「あ! ぼく動物園行きたい!」
「動物園なら上方山公園にあったな」
 小黒のリクエストに、无限大人は顎に手を当て答える。
「これからの時期なら、桜の花が見られるはずだ」
「お花見、いいですね!」
 やっぱり、桜と聞くと見に行きたくなるのが日本人の性かもしれない。それも、无限大人と小黒と行けるのならそれ以上のことはない。
「じゃあそこに行こう! ね、小香」
「うん!」
 ちょっとした観光旅行が終わってしまうのは残念だけれど、次の約束ができたから希望は途絶えていない。こちらにいる間に、何度一緒に過ごすことができるだろう。少しでも長い時間を、刻みたい。
 それがきっと、いつか美しい思い出になるから。