同里古鎮を満喫して、退思園に辿り着いた。ここは清の時代に作られた邸宅の庭園だ。今は一般に解放され、観光地となっている。
とても池が大きくて、まるで水の上に建物が立ってるような、不思議な光景が広がっている。
「わあー」
小黒は縁のぎりぎりに足を置いて、水面を覗き込む。魚がいるのかな、と私も眺めてみたけれど、魚影は見えなかった。无限大人が歩き出すので、小黒を呼んで後を追いかける。そのとき、前から来た人の荷物にぶつかって、よろめいた。けれど、左肩の辺りを誰かに支えられ、倒れずに済む。お礼を言おうとして振り返ったけれど、そこには誰もいない。あれ、と思ってきょろきょろしていると、きらりと何かが光って、无限大人の方へ消えていった。无限大人は私の方を振り返っていて、目が合うとにこりと微笑んだのでどきりとする。何が起きたんだろう。確かに、誰かに支えてもらったと思ったんだけど……。
湖面に映る景色は現実の風景をそっくりそのまま映し出していて、まるで世界が重なり合っているかのように見える。そんな場所だから、不思議なことが起こっても不思議じゃないのかも、と思えてきた。
邸宅の二階に上がり、窓から下を見下ろすと、ここだけ別世界として外から切り離されているように感じた。少し、龍遊の館に似てる。あそこは実際に別の空間にあるそうだけど、人間でも、こんな風に不思議な空間を造り出せるものなんだ。妖精は直接霊質を用いて自然を操るけれど、人間も、道具を駆使して自然を変えられる。この時代程度に留められていたら、今の妖精たちの苦しみはなかったのかもしれない。でも、人間は止まらなかった。そうして発展することで得られた恩恵は確かにある。でも、傷つけられたものは数知れない。そのことを忘れてはいけないと、常々思う。
ふと、廊下の途中で立ち止まり、辺りを見渡している子供を見付けた。何かを探している風だ。近くに家族らしい姿は見当たらない。
「どうしたの?」
声を掛けると、不安そうな目が揺れながら私を見上げた。
「お母さんと逸れちゃった?」
子供はこくり、と頷き、きゅ、と小さな手を握り締めた。私はその頭を撫でてやる。
「大丈夫だよ。きっとお母さんも探してるからね。お姉ちゃんと一緒に行こうか」
手を差し出すと、その子はすぐに掴んできた。まるで、唯一の頼れるものに縋るようなその弱い力を、慰める気持ちを込めて優しく握る。
「无限大人……あれ?」
この子のご両親を探しましょうと伝えようとして、二人の姿が見えないことに気付いた。え、私も迷子?
どうしよう、と一瞬狼狽えたけれど、この子の手前、弱気なところは見せられない。まあ、道は一本道だ。先に進めば出会えるだろう。そう気楽に考えることにして、まずはこの子をご両親の元へ届けることに決めた。きっと、この子がいないことに気付いて戻ってくるはずだから、そのうち会えるだろう。
思った通り、弱った表情で小走りに人々の間を通り抜けてくる女性がいて、彼女は私の隣でとぼとぼ歩いている子供を見て、駆け寄ってきた。
「ママ!」
その子も、彼女の姿を見て私の手を離し、駆け出した。女性に抱き着き、嬉しそうに飛び跳ねる。女性は私に頭を下げると、子供の手をしっかりと握ってもと来た道を戻っていった。子供は私を振り返って、ぶんぶんと手を振った。私も手を振り返して、ほっとする。
そこで、ようやく端末が振動していることに気付いた。
『今どこにいる?』
「すみません。迷子の子がいて、今お母さんのところに戻りました」
『そうだったか。……だが、連絡してほしかった。心配するだろう』
「あ……すみません……」
そうだ、一言連絡すればよかったのに。すぐ会えるだろうからと思って、控えてしまった。
『今、出口に向かっている?』
「はい、すぐに向かいます」
『いや、迎えに行こう。そこで待っていなさい』
「……はい」
迷惑をかけてしまった、と反省しなければいけないのに、わざわざ迎えに来てくれる、と思うと嬉しさに胸がいっぱいになってしまった。どきどきしながら、湖面を見下ろして彼を待つ。そこに映る女の顔は、待ち人に焦がれていた。