23.赤いバイク

 前日は興奮が収まらず、なかなか寝付けなかった。それでも無理矢理目を閉じて、身体を休めておいた。朝には目覚ましが鳴るより早く目覚め、とうとうその日が来たことを理解した。
 動きやすい、でも少しかわいさを取り入れた服を着て、鏡に映る自分の姿を確認する。忘れ物はないだろうか。何度も確認しているうちに、余裕があったはずの出発時間が間近に迫った。
 慌てて靴を履きながらドアに鍵を掛け、駅へと向かった。
 駅前で二人と待ち合わせしている。この時間なら遅刻はしないはず。たくさんの人が行き交う駅の出入口で佇む人たちの顔をひとつひとつ確認する。
「小香」
 右側から私の名前を呼ぶ声がして、それが彼だとすぐにわかった。无限大人の足元で小黒が両手を上げて存在をアピールしているので走って二人の元まで行ってお待たせしましたと頭を下げた。
「時間ぴったりだ。さあ、行こうか」
「はい」
 歩き出した私の手を、小黒が握る。反対の手は无限大人の手を握っている。まるで、親子みたいなその並び。傍から見たら私たちはどう見えるだろう、と想像すると胸の奥が切なく疼いた。
 電車に乗って、空いた席に座る。小黒は椅子に乗って窓の方へ向きを変え頬を押し付けるようにして外を見る。私も肩を捻って外へ目を向けた。
「あ、赤い車」
「ほんとだ」
 光を反射して一瞬横切っていくのが目に焼き付いた。
「あのねぇ、師父、車乗れないんだよ」
 小黒がとっておきの秘密を語るようににやりとしながら私の耳に囁いた。けれどその声は无限大人にも届いていて、むっとしたように眉間にちょっと皺を寄せた。
「免許を持っていないだけだ」
「ははは! でもね、赤いバイクは乗れるんだよ! ぼく、そっちの方が風が気持ちいいから好き!」
「赤いバイク……」
 なんだかバイクに乗っている彼の姿はうまく想像できなくて、首を捻ってしまう。車に乗っている姿も同じくだ。彼はその身ひとつでどこへでも行けそうな気がしてしまう。確か、空も飛べるんじゃなかっただろうか。もちろん、人目につくような場所で飛ぶことは禁止されているけれど。彼にとっても、この現代は窮屈なのかもしれない。
「私は車もバイクも乗れないからな」
「今度師父に乗せてもらえばいいよ」
「えっ! いやいや……」
 小黒はすぐ気軽にそういうことを言ってくれる。でも、タンデムなんて恐れ多い。もし万が一そんな機会があれば、天にも昇るくらい嬉しいけれど。
 蘇州駅からは、バスに乗り換えだ。座席は二列なので、无限大人と小黒、その後ろに私が乗る。小黒は座ったと思ったらすぐに椅子の上に膝立ちになって、背もたれにしがみ付きながら私と无限大人両方に話しかけやすい姿勢を取った。
「小黒、危ないから座っていていいよ」
「大丈夫だよ!」
「小香の言うことを聞きなさい、小黒」
「はーい……」
 无限大人にそう言われると、小黒はすぐに大人しく従った。こういうところを見ると、師弟なんだな、と思う。座席の向こうに小黒の頭が引っ込んで安心していたら、すぐに窓と座席の間からぴょこ、と碧の瞳がこちらを覗いた。
「へへ! これならいいでしょ!」
「ふふ。そうね。それなら危なくないかな」
 かわいすぎて、思わず頭を撫でたくなる。私と話すのが楽しくてしょうがない、というように振る舞ってくれるのがとても嬉しい。
 子供の妖精と触れ合う機会はいままで少なかったから、余計に新鮮に感じていた。
 小黒と話していると、退屈する暇もなく目的地に着いた。