3.小さな弟子

廊下に置かれた椅子に、小さな男の子が座っていた。足をぶらぶらさせて、つまらなそうに手をいじり、時折向かいの扉をちらりと見る。きっと、中で彼の家族か誰かが相談中なのだろう。白いふわふわの髪の間から、猫のような耳がぴょこんと映えている。内側の毛は若葉色だ。
「こんにちは」
私はしゃがんで男の子に目線を合わせながら挨拶をする。男の子はくりっとした目を私に向けて、にこっと笑った。
「こんにちは!」
大きく開けた口から、小さな牙がちらりと見える。
「私は小香っていうの。ここで働いてるんです。きみのお名前は?」
「小黒だよ。今ね、師父のこと待ってるの」
「師父?」
確か師匠、という意味だったはずだ。ということは、家族というわけではないのかな。
「うん! 師父はね、すっごく強いんだよ!」
私が疑問系で呟いたのを、師父がどんな人なのかという疑問と受け取ったようで、小黒は嬉しそうに説明をしてくれた。
「でもね、すっごく優しくてね、世界で一番いい人なんだ!」
「ふふ、小黒は師父のことが大好きなのね」
「うん!」
つまらなそうにしていた様子はすっかりなくなっている。師父の存在がそれだけ大きいのだろう。にこにことする小黒の笑顔が微笑ましい。
「小黒は、師父からどんなことを教わっているの?」
「金属の操り方とかいろいろ。手合わせが一番楽しい! 文字の練習は苦手だけど……。ぼく、師父と同じ金属系と空間系なんだよ」
「二つもあるの? すごいね!」
「へへっ。ぼくの方が強いけどね!」
そんな話をしているうちに、用事が終わったようで、扉が開かれた。中から出て来た人に驚いて、私は身体を硬直させた。
「師父!」
小黒はぴょんと椅子から飛び降り、彼に駆け寄る。彼は足に抱き着いてきた小黒の頭をくしゃりと撫で、私に目を向けた。
「あのね、待ってる間、小香と話してたんだよ」
「そうか」
私は戸惑いながら立ち上がり、彼と向かい合う形になるが、目が合わせられなくてその顎辺りに視線を落とす。前髪が肩にかかるかかからないかの長さでさらりと流れている。
「ありがとう。この子の相手をしてくれて」
「いっ、いえ!」
无限大人が、小黒の師父?
その考えが頭の中でぐるぐるとして、いっぱいいっぱいになってしまう。小黒が師父の話をしているときの大好きという想いに溢れた笑顔が瞼に浮かぶ。小黒は、彼の話をしていたんだ。
「あの、お弟子さん、って……」
確かめたい、という思いが強く咽喉を突いて言葉が出た。
「一年ほど前から、弟子として預かっている」
彼は小黒の頭を撫でながらそう答えた。嬉しそうに笑みを浮かべる小黒を見つめる瞳はとても優しくて、胸がきゅうっとなる。ふと、小黒が文字の練習は苦手、と言ったことを思い出した。
「もしかして、この前のらくがきは……」
「ああ」
彼は私の言おうとしていることを感づいて、小さく苦笑を零した。
「この子の練習の成果だ」
「小黒の……」
どきどき、と胸がうるさく鳴り始める。ということは、小黒は本当の子供じゃなくて。結婚も、していない? そう考えてほっとしそうになる自分に気付く。でも、だからといって彼にそういう相手がいないとは限らないのに。どうしてそんなことばかり気にしてしまうんだろう。だって私は、彼にとってただの職員の一人に過ぎないのに。それがとても切なく感じてしまう。この人と、もっと近づきたい。そう願っていることを、自覚してしまった。
「では」
彼は頭を少し下げ、小黒の手を引く。
「またね、小香。ばいばい!」
「……またね、小黒。无限大人」
思い切って、彼の名を呼ぶ。また、会いたい。その祈りを込めて。