恋ぞつもりて
无限お相手
第一弾映画から2年後くらいから始まるお話
自己投影のため名前変換なし
日本人で人間の夢主と无限大人が会館で出会い、思いが通じるまで
第一部 色も无き花に香りを染めしより
1.一目で見惚れ
妖精が人に紛れて暮らしていることを知っている人間は限られている。 私の職場である館は、そんな妖精たちを助けるための場所だ。 今日も、窓口に何人かの妖精が相談に訪れている。 私はまだここに来て日が浅く、雑用をしながら仕事を覚えているところだ…
2.落書きに痛みを知り
書類を確認していると、无限、の名前を見付けてどきりとした。あの人のことだろうか。それも、一枚だけではない。たくさんの書類の中で、彼の名前が出てくる。彼は執行人の中でも最強と言われていて、様々な問題を解決している。特に戦闘が絡む問題が多いよう…
3.小さな弟子
廊下に置かれた椅子に、小さな男の子が座っていた。足をぶらぶらさせて、つまらなそうに手をいじり、時折向かいの扉をちらりと見る。きっと、中で彼の家族か誰かが相談中なのだろう。白いふわふわの髪の間から、猫のような耳がぴょこんと映えている。内側の毛…
4.理想の人
ここには、いろいろな事情を抱えた妖精が相談に来る。造物系の力がなく、人になれないので館で暮らさざるを得ない妖精、人にはなれるけれど、人間社会に慣れていない妖精。私は主に、妖精が人間社会で暮らせるよう、事情を知る人に縁を繋いだり、新たに受け入…
5.旅暮らし
館の居住区の方へはまだあまり行ったことがなかったので、進んでその仕事を請け負った。何人かを訪ねて、回答をもらってくるのがその内容だ。館は大きい。迷ったときには近くにいる人に訊ねて、なんとか全員のところを回り終え、食堂で一息つくことにした。こ…
6.震え寄り添う温度
「あんたたちはおれを苦しめたいのか!?」そんなことは、と反論しようとするけれど、相手はこちらの話をまったく聞いてくれない。怒りでいっぱいになって、それをぶつけることしか考えられない状態みたいだ。鼓膜が痺れるような大声に、全身が委縮してしまう…
7.意識の端緒
「さっきは大変だったわね」仕事がそろそろ終わるころ、雨桐がそう言って労ってくれた。「力のない人間相手に術を使おうとするなんて、ひどすぎるわ。しかもあなたは関係ないのに」「无限大人が助けてくださったから」「大人がいなかったらあなた死んでたわよ…
8.理解の一歩
「无限大人、来てるって!」仕事が一段落して部屋に戻った途端、雨桐がそう教えてくれた。私は急いで部屋を出る。无限大人が館に来るのは一か月ぶりだった。 このタイミングを逃したら、次いつ出会えるかわからない。確実に出会えるのは、館の出入口だ。そこ…
9.穏やかな始まり
館を出て街に降りるのはまだ慣れない。日本と似ているけれど、どこか違う風景。聞こえてくる耳慣れない言語。そこで一人で立っていると、少し心細くなってくる。思い切ってこちらに来ようと決めたのは、海外の職場に興味があったこともあるけれど、こちらに住…
10.次の約束
届いた料理を、无限大人はさっそく食べ始める。箸の持ち方が綺麗だ。どんな味がするんだろう。彼は美味しそうに食べてる。小さめの一口を齧ってみる。お肉にはよく味が染みていて、齧ると口の中に芳醇な香りが広がった。「美味しい……!」思わず声を出してし…
11.同盟結成
「はぁ……」気が付いたら溜息を吐いてしまっている。仕事中も、食事をしたときのことを思い出してしまって、胸がいっぱいだった。たくさんのことを話せたと思う。けれど、全然足りない。あれから、まだ連絡は来ていない。次のお休みはいつだろう。いつになっ…
12.ツーショット
待ち望んでいた連絡が来て、さっそく日取りを決め、店を予約した。選んだのは寿司屋だ。日本人の店主がやっているお店で、以前食べに来てみたところ日本で出てくるお寿司そのままでとても美味しかった。和食と言えば、やっぱりまずは寿司かなと思う。喜んで…
13.火照り冷めず
「日本酒か」 メニューを見ながら、彼がぽつりと呟く。「せっかくだ、試してみたい」「じゃあ、頼みましょうか」 飲みなれた甘口のものを選び、店員さんに注文する。店員さんが下がったあと、少し沈黙が下りた。「あの、お酒は飲まれるんですか?」 話題が…
14.知ってしまったから
大通りから少し離れると、かなり人通りは少なくなった。 しばらく無言で、並んで歩く。今日は、期待していた以上のことばかり起こっていて、なんだか心がふわふわしてしまう。お酒のせいも少しはあると思うけれど。 私は、この人のことが好きなんだな………
15.結ばれた縁
第一印象、というと、正直に言えばよく覚えていない。楊に紹介されて、わざわざ外国から来るとは仕事熱心な人だと感じた。その後に見かけた勤務態度も真面目で、日本人は彼女のような人が多いのだろうかと考えた。 やはり、あの一件が印象深い。客に怒鳴ら…
16.好きなもの
「小香! こっちだよ!」 小さな手をめいっぱい伸ばして呼ぶ小黒の元へ、小走りで駆け寄る。「こんにちは、小黒」「こんにちは!」 今日は、无限大人と一緒に小黒と三人でご飯に行くことになった。私とご飯に行っていることを知って、自分も行きたいと言っ…
17.恋煩い
『新年快楽!』 その四文字を、思い切って送信する。スタンプまでつけるのはちょっとテンションが高いかな、と悩んでやめておいた。「ちゃんと送れた?」 ベッドで仰向けになり、通知が鳴り続ける端末をいじりながら雨桐に確認されて、なんとか頷く。「返信…
18.あなたに染まる
最近、こちらでは漢服、という漢民族伝統の衣装を普段から着ることが流行っているそうだ。それは人間たちの間でのことで、長く生きている妖精たちは歴史がかった服装をしていることが多いので、職場では見慣れている。日本でも、妖精たちは着物を着ていた。…
19.嬉しい言葉
「あ! 小香だ!」 館を歩いていると、後ろから駆け寄る音がして立ち止まり振り返った。「小黒」 ぱたぱたと足音を立てて走ってくる小黒の後ろには、无限大人ではなく冠萱さんと逸風くんがいてあれ、となった。「无限大人と一緒じゃないのね」「うん。まだ…
20.心の片隅に
部屋を出ると、楊さんと誰かの話す声が聞こえて、どきりとする。 无限大人だ。廊下に置かれた椅子には誰も座っていない。小黒は今日は来ていないみたい。「それでは」 椅子から立ち上がる音がして、二人が外へ出てくる気配がした。息をつめて、出口を見つ…
21.定食屋さん
待ち合わせ場所について、端末を確認し、鞄に仕舞う。顔を上げると、ちょうど人波の中にこちらへ向かってくる二人の姿が見えた。 ロングコートの裾を翻しながら、足元をちょこちょこと歩く小黒の手を引き、誰かにぶつからないように気遣う様子に胸の奥がき…
22.知りたいこと
「今度ね、ぼくたち蘇州へ行くんだよ」 デザートのアイスをつつきながら、小黒が言った。「蘇州? 東洋の水の都って呼ばれてるところだね。いいな。私もいつか行きたいと思ってるの」 蘇州は二千五百年の歴史を持ち、古い街並みが残っている古都だ。最も河…
23.赤いバイク
前日は興奮が収まらず、なかなか寝付けなかった。それでも無理矢理目を閉じて、身体を休めておいた。朝には目覚ましが鳴るより早く目覚め、とうとうその日が来たことを理解した。 動きやすい、でも少しかわいさを取り入れた服を着て、鏡に映る自分の姿を確…
24.同里古鎮
同里古鎮は古鎮というだけあって、昔の建物が多く残っていた。街の中を何本も運河が横切り、その上を舟が進んでいく。「これが太平橋」 橋を渡りながら、无限大人が教えてくれた。「走三橋といって、太平橋、吉利橋、長慶橋を渡ると幸せになれるそうだ」「…
25.退思園
同里古鎮を満喫して、退思園に辿り着いた。ここは清の時代に作られた邸宅の庭園だ。今は一般に解放され、観光地となっている。 とても池が大きくて、まるで水の上に建物が立ってるような、不思議な光景が広がっている。「わあー」 小黒は縁のぎりぎりに足…
26.身に余るほど
「小香!」 小黒が駆け寄ってきて、腰に抱き着いた。少し驚いたけれど、受け止めて、頭を撫でる。思っていた通り、ふわふわの髪だ。「すまない、目を離してしまって」 その後ろから、无限大人が申し訳なさそうな顔をして謝る。私は慌てて首を振った。「いえ…
27.余韻
旅行の余韻は、なかなか抜けなかった。たくさん撮った写真を見返しては、頬が緩んでしまう。端末に保存していた写真を、何枚かプリントして手元に置けるようにした。三人で撮った写真と、小黒と二人で写っているものと、无限大人一人のもの。以前お寿司屋さ…
28.君だから
「一回だけだからさ? いいじゃん。行こうぜ」「行かないったら」 少し強い語調の女性の声が聞こえて、足を止める。見ると、欄干に寄りかかるようにして女性の前に立ちはだかっている男がいた。どちらも妖精だ。館の外廊には、二人と、少し離れたところにい…
29.男と女の関係
「小香、小香!」 ちょいちょい、と小声で私を呼んでいるのは誰かと思ったら若水姐姐だった。「写真、いっぱい撮ってきた!?」「はい!」 なぜか部屋の隅に移動し、ひそひそと訊ねてくる若水姐姐に苦笑しながら、端末を取り出す。この前旅行に行ったことは…
30.花盛りの人
朝起きて、端末にお祝いのメッセージが届いていることに気付いた。四文字の短いものだったけれど、彼女は初めてこちらで春節を迎え、楽しんでいるのだな、と感じられて自然と笑みがこぼれた。 その後、館で会った時には驚いた。漢服を着ているとまるで雰囲…
31.求める住処
「湖にお住まいを希望なんですね」 今日訪れた妖精は、ずっと泣き続けていた。黄色いくちばしに、深い青みがかった緑の髪。肌は鱗で覆われている。河童に似ているかもしれない。深緑と名乗った彼女は、ぽろぽろと涙を零しながら言った。「だって、あそこは私…
32.燕京の館
「では、行こうか」 そう言う无限大人の前には文様が刻まれた壁がある。転送門というのはそういうものだと聞いたことはあるけれど、実際に目にするとこれが門だとすぐには認識できない。「使うのは初めてか」 緊張気味の私に気付いて、彼はそう訊ねてきた。…
33.紫禁城
「北京だと……やっぱり紫禁城を見てみたいです……!!」 无限大人と二人きり、という緊張感が、北京にいる、という興奮にじわじわと中和されていく。見るべき場所といえばやはり故宮博物院だろう。明や清の時代に皇帝が住んでいたという宮殿。ぜひ、この目…
34.刀削麺
「刀削麺を食べたことはあるか」 確か、生地を専用の包丁で削って沸騰したお湯に入れる麺料理だったかと思う。首を振ると、彼はいい店があると言って歩き出した。ここは故宮博物院から少し離れたところにある西四大街だ。レストランがずらりと並んでいる。そ…
35.桃花の夢
薄紅の花が咲き乱れていた。桜とは少し違う気がする。これが桃の花だろうか。「風が出てきたな」 花を揺らしていた風は彼の髪を揺らして吹きすぎていく。 私は彼の横顔から目を逸らせない。細い髪がさらさらと波打ち、光を反射して艶やかに光る。彼は私の…
36.微笑の気配
夢の余韻は数日晴れなかった。実際に告白したわけじゃないのに、本当に振られてしまったような気分になってしまって、立ち直れない。夢でこうなるんじゃあ、本当に振られちゃったらもう生きていけない気がする。本当に、どうしてここまで思いつめちゃってる…
37.動物園
蘇州の上方山森林動物園へは、駅からバスで向かうことになった。昨日は雨だったから心配していたけれど、無事に晴れて、気持ちのいい天気になった。少し早起きだったからか、小黒は珍しく行きのバスで眠っていたけれど、着いたらぱっと目を覚まして元気に歩…
38.お弁当
動物園の敷地はかなり広い。集められた動物の種類も豊富だ。「小黒は、動物園初めて?」「うん! テレビで見たことあるよ。いろんな動物がいるんでしょ! パンダとか!」「ここにはパンダはいないな」 期待に満ちた言葉に否定が帰ってきて、小黒は一瞬口…
39.内緒の話
一通り周って、池の傍に行くと、フラミンゴの形をしたベンチがあった。そこがフォトスポットとなっているようで、人が集まっている。家族連れもいるけれど、カップルの方が目立つかも。 私たちの傍にいたカップルは指を絡め合って、身体を密着させて人目も…
40.風息公園
動物園から館の近くの駅まで帰ってきて、そこでお別れかと思ったら、空の色を見てから、无限大人が私の方を見た。「風息公園を、知っているか」「あ……はい」 もちろん、名前は知っていた。どういう騒動があったのか、そこに无限大人が関わっていたことも…
41.共に
「うーん……」 積みあがった本と書類に囲まれて、頭を抱えて唸る。机に突っ伏して唸っていたら雨桐がチョコを差し入れしてくれた。「見つからなそう?」「うん……なかなかね……」 深緑さんの新しい住まい探しは捗っていない。暗礁に乗り上げる……という…
42.偶然の出会い
「ふうむ、そうだなあ……」 相談に現れた私に、楊さんも顎を摩って悩んでしまう。「少々、要求が多いんだよなあ……」「そうですねえ……」 ずっと住むことになる場所なのだから、こだわるのは当然だ。けれど、彼女が望むような素敵な場所が、あといくつこ…
43.手合わせ見学
一通り館の中を見せてもらいながら、経営についてや最近の妖精たちについて話を聞き、とうとう外の広場に辿り着いた。そこではまだ妖精たちが手合わせをしていた。私たちが到着したとき、ちょうど无限大人が灰色の毛皮を持った虎のような妖精と向かい合って…
44.五馬街
温州人は商売上手だという話がある。五馬街は、そんな温州最大の繁華街だ。歩行者天国になっていて、車は通れないようになっている。古い町並みを残しながら、新しいものや西洋的なものが混じっている。昔ながらの店があるかと思えば、ファストフード店があ…
45.江心嶼
お茶を飲み終わって、席を立ち、五馬街を通り過ぎる。バスに乗って、さらに移動した。その先には、甌江が流れている。省内で二番目に大きい川だ。その中に、江心嶼は浮かんでいる。甌江蓬莱と呼ばれる美しい島だそうだ。そこへは、フェリーで移動する。チケ…
46.微熱風に吹かれ
彼女は、館に馴染めない妖精のために住処を探すという大仕事に取り掛かっていた。その妖精は、少し前に私が任務で捕えた妖精だった。湖に近づいた人間がその妖精に怪我をさせられていた。殺しまではしていなかったが、人間たちが大がかりな討伐を検討し始め…
47.探し物進まず
「一件は埋め立てたあと、もう一件は近くの山が削られて近くに道路ができてしまった……か」 報告結果を読み、溜息を吐く。カリ館長に探してもらった候補地は、情報が昔のものだとはいえ、なかなか期待が持てそうだと思っていた分、がっかりしてしまう。「ど…
48.二十六秒の通話
深緑さんの要望を叶えるためには、今のやり方では時間が掛かりすぎる。もっと、たくさんの情報が必要だ。それを集めるために何ができるだろう。数日悩み、これならいけそうだということを思いつき、楊さんに交渉に向かった。「小香、今日はどうしたのかね」…
49.視線の意味を
「小香」 久しぶりに私を呼ぶ声に、心がふわりと飛んでいきそうになる。「お待たせしました、无限大人」 小走りで駆け寄って、並んで歩く。今日は、小黒は一緒じゃないそうだ。仕事がようやく落ち着いてきて、一息つけるようになったころ、无限大人からまた…
50.家族のこと
「君のところは、家族仲がいいんだな」 いろいろと笑い話を思い出していたら、家族の話が多くなった。それを聞いていた无限大人は、そんなふうに言ってくれる。「そうですね。ごく普通の家庭でしたけど……。両親とも兄弟とも、仲がよかったです」「君が長女…
51.お泊り
館を歩いていると、欄干の上に座る小黒の後ろ姿が見えた。「小黒。何やってるの?」「あ、小香」 小黒はぱっとこちらを振り向くけれど、なんだか元気がないように見える。「どうかした?」「今、師父任務に行ってるんだ」「そっか。小黒、今一人なの?」 …
52.寄り添う温もり
无限大人はそれから数日間戻ってこなかったので、その間毎晩小黒はうちに来た。朝ご飯を一緒に食べて、一緒に館に行って、私は職場、小黒は館の人たちのところへ別れ、帰りに小黒を迎えに行って、一緒にアパートに戻る。毎晩何を作ろうかわくわくして、小黒…
53.再会とパスタ
翌日は休日だったので、小黒と一緒にアパートで无限大人のお迎えを待つことにした。无限大人はお昼ごろに訪ねて来た。「師父!」 インターホンが鳴ったので、小黒が玄関に飛び出していく。小黒はそのまま无限大人に抱き着いた。「おかえりなさい!」「ただ…
54.限りある時間
「あっ……无限大人!」 職場に彼が姿を現すのは久しぶりで、思わず嬉しくなって出迎えに行った。「こんにちは」 无限大人はにこりと微笑んで挨拶してくれる。「今日はどうしましたか?」「うん。楊に用事だが、君は今忙しい?」「いえ、そんなには」 无限…
55.強さの源
「无限大人~!」 館を歩いていると、女性たちの黄色い声が聞こえてきて、足を止めた。入口の方で、人だかりができている。よく見えないけれど、あの中心にきっと无限大人がいるんだろう。妖精たちの中には深緑さんのように、无限大人をよく思っていない妖精…
56.休日に
休みの日、買い物に出かけていると電話が掛かってきた。无限大人からだ。どきどきしながら電話に出ると、元気な声が耳に飛び込んで来た。『小香! 今日お休み? 今何してるの?』「小黒? 今出かけてるよ」『ほんと? ぼくたちも出かけてるんだ! 小香…
57.みんなでお料理
「どれ買うの?」 小黒が率先して売り場を回り、无限大人がカゴを持ってくれる。カレーの材料を一緒に買って、うちで食べることになってしまった。二回目だからもう慣れたかというとそんなことはもちろんない。しかも買い物まで一緒にできるなんて、これって…
58.カレーと笑顔
「これでいいだろうか」 无限大人が見せてくれたじゃがいもはとてもきれいに切れていた。「はい! ばっちりです!」「次は、たまねぎかな」「お願いします」 私が剥いたたまねぎを見付けて、无限大人はとんとん、と軽快にカットしていく。この手つきを見て…
59.君でよかった
无限大人は小黒を私のベッドに寝かせる。小黒はぐっすりで、全然起きなかった。そっと扉を閉めて、リビングに戻る。无限大人が椅子に座った後、私はそわそわしてしまって、お湯を沸かすことにした。「お茶、飲みますか?」「ああ。頼む」 お水をやかんに入…
60.かけがえのない出会い
小香が始めた取り組みは、すぐに全土の館に伝えられた。確かに、いままで共有されていなかった情報だ。これができれば、かなり便利になるだろう。しかし、大がかりなことだから思いついてもなかなか実行に移すのは難しい。そこを動かす鶴の一声だ。一度動き…
61.思いは溢れて
「なんか、いいことあった?」「え?」 雨桐に食事に誘われて、仕事終わりにレストランに寄った。仕事の話やテレビの話をだらだらとしていたら、ふいに雨桐は姿勢を変えて、これからが本題だと言わんばかりに訊ねてきた。「最近、浮かれてるよ」「そう?」 …
62.豫園
最近、暖かいというよりは暑いくらいな日が続くようになり、夏が近づいてきた実感が湧く。それなりに歩くだろうからパンツスタイルで、上は涼しいゆったりとした丈の長めのシャツにした。 いつも通り駅前で二人と待ち合わせる。今日は私の方が早かった。時…
63.豫園商城
庭園を出て、南翔饅頭店で小籠包を食べることにした。上海で一番と有名らしく、行列ができている。「小黒、待てる?」「うん!」 中に入るまで少しかかりそうだから小黒が心配だ。今は元気に返事をしてくれたけれど。思っていたよりは早めに列が動いて、二…
64.外灘
外灘へは三輪タクシーを捕まえて行くことにした。その座席は大人二人が並んで座ると少し窮屈で、小黒は无限大人の膝に収まった。「狭くないか?」「大丈夫です……」 右側がぴったりと无限大人に密着してしまい、心臓の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと…
65.決めた居場所
「今日のところはいいと思うんですよ」 張り切って深緑さんの前に資料を並べようとしたら、深緑さんは待って、と手のひらを翳して私を止めた。「もういいの。今日はそれを伝えに来たの」「もう……って?」 私は深緑さんの顔を覗き込む。あまりに私の紹介す…
66.龍遊民居苑
雨桐と一緒に買いに行った漢服に袖を通し、鏡の前で入念に確認する。どこか間違ってないか、なんども身体を捻って背中も確認して、そうしていたら約束の時間が近いことに気付いて慌ててポーチを手に取る。これも漢服に併せて用意したものだ。遅刻しちゃう、…
67.龍遊石窟
龍遊石窟は公園の中にあった。入口でチケットを買い、道を歩く。途中、ツアーの一行とすれ違った。彼らにとって、漢服の私たちは珍しかったらしく、ちらちらと視線を感じた。民居苑の方はそんなに人がいなかったので気にならなかったけど、やっぱりそわそわ…
68.困ったお誘い
「それで、僕たちは考えましてね……」 館の食堂で、お茶を飲みながら最近親しくなった妖精と世間話をしていた。彼、朝陽さんは人になれないため館で暮らしている。もう数年になるそうだ。折れた耳と犬のように伸びた鼻が特徴だ。「こうすればいいんじゃない…
69.海へ
潮風にワンピースの裾が広がる。柵に寄りかかって海を眺める小黒の隣に立って、柵に手をついた。「海だね!」「海だね~」 フェリーに乗って50分。東にある舟山諸島のうち舟山島に向かっている。風が強くて、髪がばさばさになるので手で押さえながら、遠…
70.ポニーテール
「そろそろ着くよ」「はーい」「は、はい」 中でくつろいでいた无限大人が出てきて、小黒が元気に返事をする。私はどきっとしてどもってしまった。 だって、无限大人、今日は髪型をポニーテールにしている。頭の高いところで髪を一つに結び、動くたびに房が…
71.波打ち際と砂場
たくさん泳いだので、いったん休憩に浜辺に上がる。二人に飲み物を渡すと、二人そろってごくごくといっぱい飲んだ。上向いてペットボトルの中身を飲む无限大人の喉元につい目が行ってしまう。喉仏が上下して、冷たいお茶を流し込んでいく。髪が濡れて、ぺた…
72.夕焼けに飲み込んだ言葉
存分に泳いで、遊んで、日が陰ってきた。青い空に赤が混じり、風が涼しくなってくる。海からあがり、二人は水着から着替えて、海に伸びた堤防の上をゆっくり歩いていた。小黒はどんどん先に行き、カニかなにかを見付けてしゃがんでいる。「久しぶりにこんな…
73.カレーライス
ふと会いたくなって、勇気を出してこちらから誘ってみよう、ということになった。振り返ってみれば、最初にこちらから声をかけて以来、なんだかんだと誘ってもらっていることが多い気がする。ありがたいことだ。なので、こちらから連絡を取るのは緊張する。…
74.瞳に魅入る
「そういえば、深緑さん、どうするか決まったんですよ」「いい場所が見つかったのか?」 お茶を置きながら、无限大人が訊ねるので、首を振った。「いえ。新しい湖へお引っ越しは、なしになりました。やっぱり、知らない場所に行くのは不安が強いみたいです。…
75.猶予
豫園に行くとき、彼女はいつもと少し違う恰好をしていたのが印象に残っていた。パンツを穿いた姿が珍しかった。思い出してみれば、彼女はスカートの方をよく穿いていた。庭園を見ると、以前行った退思園を思い出させた。小黒もそうだったようで、小香と手を…
76.ショッピングモール
いつも通りの待ち合わせ場所に来て、无限大人と挨拶を交わす。でも、今日はどこへ行くのか聞いていなかった。駅に行くのかと思ったら、无限大人は街の方へ歩こう、という。「どこのお店へ行くんですか?」「はっきりとは決めていないんだ。君はどこへ行きた…
77.プレゼント
「すみません。もっと楽しいところにすればよかったですね」「うん?」 コーヒーとケーキを頼んで、店員さんが下がったところで気になっていたことを伝える。无限大人は不思議そうな顔をした。「楽しくないか?」「いえ! 私は楽しいです! でも、无限大人…
78.お返し
コーヒーとケーキが届いて、さっそく食べる。私はいちごのショートケーキ、无限大人はフルーツタルトだ。「あ、このお店のケーキすごく美味しい」 一口食べて、はっとする。ほどよいクリームの甘さといちごの酸味が絶妙だ。コーヒーも香りが立っていて後味…
79.楠渓江
楠渓江があるのは温州市だ。以前、仕事でここの館を訪れて、偶然无限大人と会ったことを思い出す。あのときは五馬街で麺を食べて、江心嶼を散策した。情人島という名前に過剰反応してしまって、あのあとは上手く会話できなくなってしまった。あの頃に比べた…
80.川下り
楠渓江の流れに沿って、竹の船に乗ることになった。无限大人が先に乗り込み、当然のように手を差し出してくる。どきどきしながらその手を取り、慎重に船の上に足を置いた。思っていたよりも安定感があるけれど、縁がないのでひっくり返ってしまわないか少し…
81.アルバム作り
川に行ってから数週間後、小黒と无限大人がうちに来ることになった。カレーを作って待つことにする。煮込んでいる間にインターホンが鳴った。「小香! 来たよ!」 玄関を開けると、小黒が元気な笑顔で入ってきた。无限大人はその後ろに立って、笑みを浮か…
82.楽しい日々
「わーい! カレーだ!」 小黒はスプーンを持った手を頭上に突き上げて喜びを全身で表してから食べ始めた。そんなに気に入ってくれて嬉しくなる。无限大人も一口食べて、頷いた。「うん、この味だ」「やっぱり、お店の味とは違いますね」 自分で作ったカレ…
83.書類の整理
近頃は无限大人は忙しくしているようで、ほとんど連絡が来ることはなかった。八月も後半になって、突然電話が掛かってきたので、何かあったんだろうかとどきどきしながら電話に出た。「もしもし?」『小香か。実は、折り入って頼みがあるんだが』「なんです…
84.見つめ返される
「こちらにきて、たくさんのことを学べました。同じ館でも、やっぱりいろいろやり方が違っていて……。すべてを適応することはできないですけど、一部はうちでやったらよくなるんじゃないかってことがありました」 こちらで学んだことを振り返って、帰ってか…
85.どうして私を
「送っていくよ。小黒を迎えに館に行かなくてはならないしね」 そろそろ帰る時間になって、无限大人はそう言って一緒にホテルを出ることになった。こうして並んで歩くのも、もう当然のようになっているけれど、改めて不思議に思う。无限大人は、どうしてこん…
86.伝えたい
「ようやく一段落ついたわね」 雨桐はお菓子の袋を開けながら溜息を吐いた。「目が回る忙しさだったねえ」 私も肩を揉みながら答える。八月も終わりになって、ようやく仕事が落ち着いてきた。「それで、どうなってるの」「何が?」「无限大人との進捗よ」「…
87.勇気を出して
緊張しながら電話を掛ける。数回のコール音のあと、通話がつながった。『小香か。どうした』「あの、お話したいことがありまして」 つかえながら、今度食事をしないかと誘った。无限大人は明日の夜に、と答えた。早い、と決意が揺らぎそうになったけれど、…
88.別れ
「もっと、あなたと……過ごせたら……って」 やっとの思いで声を絞り出す。これだけで耳まで真っ赤になってしまう。无限大人は、薄く微笑んだ。「……もう、君は十分学んだよ。向こうで、こちらでの経験を活かして欲しい」 无限大人の声は優しく、突き放す…
89.帰国
「また、連絡してよね」 雨桐に手を振り、キャリーバッグを転がして、エントランスへ向かう。 日本へ帰国する日。準備をしているうちにあっという間に残りの日々は過ぎてしまった。若水姐姐や深緑さん、いろいろな人に挨拶をして回ったら、みんな別れを惜し…
90.後悔
二人で出かける、と決めたものの、どこへ行くかまでは考えていなかった。彼女の行きたいところへ行きたいと思っていたから。任せてみると、彼女はショッピングモールを提案した。彼女は最初は遠慮気味だったけれど、次第に楽しそうにウィンドショッピングを…
92.本当の願い
日本に帰って二ヶ月が経ち、もうすっかり日常に馴染んでいた。向こうでの一年が、こうしてみると夢だったようにさえ思えてくる。こちらの職場はすぐに私を当たり前のように受け入れてくれ、館にいる妖精たちの顔ぶれも変わらず、今まで通りの日常が戻ってい…
93.再会、そして
「お帰り、小香。これからよろしくね」「うん。よろしくお願いします」 雨桐や、他の同僚たちは暖かく私を迎え入れてくれた。手続きなどの準備があったため、こちらに戻ってこれたのは1月になっていた。数か月しか離れていなかったのに、なんだか懐かしく感…
94.空の上で
何を言われたのか、すぐに理解ができなかった。だって、そんな、夢みたいに都合のいいことが現実に起こるわけなんてないのに。「……え?」 なので、馬鹿みたいに聞き返してしまった。无限大人は肩を揺らして笑う。少し離れたところで若水姐姐が見守ってい…
95.花満ちて
「小香、聞いてる?」「はい」 雨桐に顔を覗き込まれて、頷いたけれど、雨桐は呆れたように笑った。「聞いてないな」「聞いてたよ」「じゃあ何言ってたか言ってみ」「えっと……」「ほら、聞いてない」「ごめん」 聞いてたつもりだったけれど、雨桐に指摘さ…
96.甘い声
端末を手に握って、液晶画面を見つめ、そこから動けなくなる。いままで、どうやって電話を掛けていたっけ。无限大人の番号を選んで、通話を押して、呼び出し音を聞いて、相手が電話口に出たらもしもし、と声を掛けて――。 耳元で聞こえた无限大人の声を思…
97.大好きが溢れる
前の家はここを発つときに引き払ってしまったので、また新たなアパートをこの市の中で探して契約した。前の家とあまり変わらないけれど、少し職場に近くなった。无限大人を迎えにいくため、家を出て、駅に向かう。ちょうどいい位置に駅があったので、待ち合…
98.初めての
「どうぞ、あがってください」 玄関を開けて、靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。来客用のものを无限大人に用意して、履いてもらう。こちらでは靴を脱ぐ習慣はないけれど、やっぱり履き替えないと変な気持ちになるのでスリッパを履いている。アパートはまだ新…
99.未来へ
唇が触れた瞬間、暖かな想いが胸を満たした。ソファに置いた手に手が重ねられ、そっと包まれる。肩から力が抜けて、身体が彼の方へ傾く。そっと唇が離れ、余韻に身体が微かに震えた。目を開けたら、翡翠の光が目の前にあり、ぼんやりとした私の顔を映してい…
100.これから
「小香!」 館を歩いていると、後ろから駆け寄ってくる足音がして、振り返る前に腰にどんと衝撃を受けた。少しよろけてから、振り返る。「小黒!」「よかったあ! 戻ってきてくれて!」 小黒は私のスカートを握り締めて涙を目に浮かべていた。私はしゃがん…