1.誕生日

「そういえば、もうすぐ誕生日だっけ」 
 雨桐に言われて、あ、と思い出す。カレンダーを見たらあと一週間ほどだった。
「去年はまだ知らなくて祝い損ねちゃったからね。今年はお祝いするよ。何かほしいものある?」
「えー、うれしいなあ。なんでもいいよ」
 私のふわふわした返答に雨桐は苦笑する。
「なんでもいいじゃ困るじゃん」
「うーん、雨桐が選んでくれたものならなんでも嬉しいし」
「あはは、何それ。センスを試されてる?」
「そういうわけじゃないよ。でも、贈り物ってそういうものじゃない?」
「気持ちが大事ってこと? でもそれは大前提じゃん。相手が喜ぶものを贈りたいからこそ、慎重に物を選ぶんだよ」
「それはそうだね」
 雨桐の言いたいこともわかる。もし万が一サプライズが外れたら、お互い不幸だ。とはいえ、これといってすぐに浮かばず、うーんとうなっていると、雨桐は何か考えるようにして首を振った。
「まあ、わかった。いいやつ選んであげる」
「ふふ、楽しみにしてるね」
 もう誕生日を喜ぶ年ではなくなったけれど、お祝いしてもらえるのはやっぱり嬉しい。雨桐の選んでくれたものなら、きっと素敵なものだろう。
「そういえば、无限大人は知ってるの?」
「あ、言ってない」
「言いなよ。お祝いできなかったらきっと後悔するよ」
「そうかな……。でも、自分で言うのって、プレゼントをねだってるみたいにならない?」
「ならないって。教えてもらったら喜ぶよ」
「うん……じゃあ、伝えておこうかな……」
 メールをしようか。でも、声を聞きたいから電話にしようか。連絡をできる口実ができて、嬉しくなる。やっぱり、用がないと電話しにくい。本当は毎日でも声を聞きたいけれど。想いが通じ合ってから、もう我慢しなくていいんだと思うと、欲求が強くなってしまった。とはいえ我儘だと思われたくなくて、どうしても飲み込んでしまう。
 私たちは、まだ始まったばかり。焦らず、ゆっくり進んでいければいいよね。

 その日の夜、さっそく電話をしてみた。何度かコール音が鳴って、彼が電話に出る。
『小香?』
「无限大人。すみません、今大丈夫ですか?」
『うん。どうした?』
 言葉は短いけれど、響きがとても優しくて、それだけで胸がいっぱいになってしまう。
「あの。私、もうすぐ誕生日なんです」
『そうだったか』
「それで、あの……」
『なら、プレゼントを用意しないとな。欲しいものはあるか?』
「一緒に過ごしたいです」
 言葉を被せるようにして、前のめりに言ってしまった。私が今一番欲しいものは、无限大人と一緒に過ごす時間だから。
 電話の向こうで、无限大人が笑う気配がした。
『もちろん。大切な日だからね』
「ありがとうございます……」
 頷いてもらえて、ほっとする。大切な日だと言ってもらえて、とても嬉しかった。
『ああ。小香だよ。話す?』
 无限大人が誰かに話しかける声が聞こえた。きっと小黒だ。
『小黒が話したいそうだ。代わるよ』
「はい」
『もしもし! 小香?』
 やっぱり小黒だった。元気な声がスピーカーを振るわせて、笑みがこぼれてしまう。
『ねえ、小香誕生日なの?』
「そうだよ」
『ぼくもお祝いしたい! あのね、ぼくもちょっと前にお祝いしてもらったんだ。それがすごく嬉しかったから!』
「小黒の誕生日、いつだったの?」
『十一月一日だよ』 
「そうだったんだ」
 ちょうど日本に帰ってしまっていた時期だ。お祝いできなくて残念だ。
「来年は、私も小黒の誕生日お祝いするね」
『うん!』
 未来の話をすることができるのが嬉しい。もう期限を気にしなくていいんだと改めて実感する。
『師父が小香と話したがってるから代わるね』
 小黒はにやにやしながら端末を无限大人に返した。
『すまない、騒がしくて』
「ふふ、いいえ」
『プレゼント、欲しいものはあるか?』
「えっと……」
 さっきの雨桐との会話を思い出して言葉を選ぶ。
「无限大人に、選んでほしいです。あの、無理を言っているかもしれませんけど……」
  无限大人が私のために選んでくれたもの。それが私のほしいものだ。少し考えるような間が空いてから、静かな返答があった。
『わかった。君を想いながら探そう』
 その言葉に頬がかっと熱くなって心臓が跳ね上がる。期待していた以上の言葉に胸が高鳴って、心がいっぱいになってしまった。
「嬉しいです……ありがとうございます……」
 なんとか言葉を絞り出す。无限大人の吐息がかすかに電話越しに聞こえる。まるで彼がこちらを見つめて、手を頬に伸ばしてくるのが見えるような気がした。
『小香……』
『无限大人……』
 お互いの声音に甘い響きが少し交じる。電話の後ろで大きな音がしてはっと我に返った。无限大人の小黒! と心配げな声と、小黒の元気な平気! という返答が電話口から離れたところで聞こえる。少しして、慌てたように无限大人がこちらに話しかけた。
『ああ、小香。すまない、小黒が……』
「いえ、じゃあ、そろそろ切りますね」
 ついつい名残惜しくて、電話を切れなくなってしまうから、ちょうどいいタイミングだった。申し訳なさそうな无限大人に気にしていないと伝わるように笑う。
『では、当日会おう』
「はい」
 声が聞けなくなるこの瞬間はいつも寂しい。実際に会える日を楽しみにしていよう。
『おやすみ、小香』
「おやすみなさい、无限大人」
 好きという気持ちを込めて挨拶をして、切電ボタンを押した。